利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(45) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

不正な社会・政治:「鬼」の世の中

無論、作品のストーリーの秀逸性や、俳優や声優の演技力、アニメや映画の技術が最大の要因であることは言うまでもない。「半沢直樹」の場合、原作の小説の面白さに加えて、主演の堺雅人や、敵役などの登場人物の演技が印象的だった。歌舞伎俳優らの派手で目立つ表情や動作も、感情的激突や公然たる場での不正の暴露、追及といった設定に適合していてまさに劇的だった。「鬼滅の刃」も、独創的で夢幻的な空間が魅惑的な上に、鬼による惨殺や「鬼化」というドラキュラのような陰鬱(いんうつ)な設定にもかかわらず、主人公の兄妹や鬼殺隊関係者が生き生きと描かれていて、思わず引き付けられる。 

ただし、同時に、見逃せない社会背景が存在する。この両作品には、悪を正して善を実現するという明確なモチーフが共通して存在している。不正や悪逆非道な行為、不条理な世界に対抗して、美しい心を持つ主人公たちが美徳を発揮し、友人や仲間と協力して潜在能力を開花させ、職業や命をかけて悪を糺(ただ)し、正義を実現するのである。 

半沢直樹の場合、現実の企業や組織における権力者が金銭・権力の亡者となって暴虐な振る舞いをしたり、弱者を抑圧し犠牲を強いたりすることを連想させる。しかも「帝国航空」再建の件は、現実の航空会社再建の事例が下地になっていて、政権党の政治家の汚職と横車が主題になっているから、政治における不正が主題そのものになっている。

「鬼滅の刃」は架空の世界とはいえ、人が鬼になる動機や状況の描写には言葉通り鬼気迫る現実性があり、鬼の個性的な特殊能力(血鬼術)も暴力や脅迫はもちろんのことながら、利益供与による疑似家族の構築や操作(累)、快い夢を人工的に見せて殺す方法(魘夢=えんむ)など多様であり、現実に存在する悪の諸手法を想起させる。

要は、これらの作品が、現実の世界とかけ離れた虚構を描いているのではなく、不正な行為や社会・政治、さらには、「鬼」のごとき所業が今の世界にリアルに存在し、それをデフォルメして極大化し、劇画的に描いているからこそ、人々の心に訴えて爆発的な人気が出ているのだろう。“リアル半沢直樹”という表現で悪徳な上司や政治家が語られ、鬼の首領(鬼舞辻無惨=きぶつじむざん)の言動が現実の政治家と似ているというような評が生まれてくるのも宜(うべ)なるかな、というところである。

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