利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(43) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
画・国井 節
「天は私たちを見捨て給わず」か?
安倍首相が病気を理由として8月28日に辞任を表明し、奇(く)しくも新型コロナウイルスの第2波が少し和らいできた。
先月(第42回)に書いたように戦後最大の危機時に日本の国家機能が停止状態に陥っていたのだから、これを機に国家機能が再開し始めれば、最悪の展開から人々は救われるかもしれない。その意味において、日本という国が守られ、回復の可能性が現れた――祈りに対して、「天は私たちを見捨て給(たま)わず」というような文句が浮かんでくる。
もっとも、現実に起こっているのは、今までの政治体制や路線を継承しようという動きだ。自民党総裁選では菅官房長官が勝利し、第99代首相に選出された。だから、国家機能がすぐに回復するとは限らない。現に菅氏は、「自助・共助・公助」の「国づくり」という考え方を表明した。「自助・共助・公助」という概念自体には問題はない。しかし問題は、「人々がまずは自分たちで努力し、最後に国家が守る」という方針が、実際にはネオ・リベラリズム(リバタリアニズム)という思想の自己責任論に対応していることだ。新型コロナウイルス問題に当てはめれば、国家はすぐには対策をせずに、まずは一人ひとりの自助に委ねるということになる。個人の力ではどうにもならない人が急増しているにもかかわらず、この発想が、危機時に国家機能の遅滞を招いているわけだ。よって、国家が生き返って人々が守られるかどうかは、今後の政治的展開、そして何よりも国民一人ひとりの自覚と行動にかかっているのである。