利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(43) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

正義と公正の衰滅と徳義

2015年の安保法制「成立」以来、違憲状態が恒常化して日本の政治体制は擬似的な民主主義に移行し始めた。選挙は行うものの、実際には自由が侵食されて強権支配が行われるという意味で「競争的権威主義」と呼ばれる類型への変化が始まったのである。今の政権継承劇にもこの特質が現れている。

この結果、公正と正義が衰え、政治に徳義が失われていった。いくつかの違法行為が明らかになって前法務大臣までが逮捕され、政権中枢の知人の優遇や官僚の忖度(そんたく)が批判され、政治家の嘘(うそ)や、公文書・統計の偽造・改竄(かいざん)、メディアへの圧力が明らかになった。違法行為は不正そのものであり、政治の私物化や依怙贔屓(えこひいき)は不公平である。

選挙時期や財政支出、国会運営などを自分たちに有利なように操作したり、メディアに圧力を加えたりするのは、公明正大な政治的フェアプレーの精神に反している。そして、経済政策の失敗も明らかになり始めて、貧富の差が拡大している。庶民生活はいよいよ苦しくなり、新型コロナウイルス問題では、営業の自由などの制限にもかかわらず、給付や補償が足りないという点で不公正であり、困窮する民の怨嗟(えんさ)の声が漏れた。

これらの不公正や不正義は、前近代的な君主国や独裁政権でしばしば見られる現象である。「護国三部経」でも、暴虐な国王が法に反して、悪い臣下を任用し、民の財産を横領して、過酷な支配をする時に、疫病や天変地異、飢饉(ききん)や敵の侵攻などによって国家が危急に陥る事態が想定され、そこから国家や人々を守ることを祈っている。そのために必要なのは、仏教的に言えば、為政者や人々が正しい法を守ることであり、一般的に言えば正義や公正という徳義を回復することである。そうすれば、加護が得られて国家が守られ、疫病(感染症)などの災厄がなくなって苦難から人々が救われ、経済的な繁栄や豊かな生活が可能になるとされるのである。

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