おもかげを探して どんど晴れ(23) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

つらく悲しい現状の中で、私たちの元に届けられる「運」――それは、それまでに熱心に行ってきた善い行いや信仰が評価されて、お天道様が「運」という宝物として届けてくれているのかもしれません。

その「運」をしっかり受け取って、生かし、独り占めをせずに次の人につなげることができれば、その「運」は大きな喜びを招き、「幸運」になるのだと言われています。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、まさにそのことを語っています。「運」は誰の元にもやってきます。

しかし、運に気に入られるかどうか、運を生かす力があるか、運をワクワクさせてあげられることができるか……。運は、生き物だと言われていますから、大事にしてあげないといけません。

子を殺めなければいけなかった時代の母親たちは、母親同士の偶然の出会いがありました。つらく悲しい経験をした人にだけ訪れる「運」がやってきて、母親たちをつなげました。語り合い、慰め合い、支え合いました。その中で、子どもたちが幽霊として姿を現しているという共通点に気がつきます。

誰にも拝まれることなく、三途(さんず)の川を渡れない子どもたちが、自分たちが死を迎えた後もきっと幽霊で出るかもしれない。母親たちは子どもたちが人に受け入れられ、食べられなかったご飯がもらえて、少しでも笑顔で幸せに暮らせる方法はないものかと考え、悩みました。そこで生まれたのが「座敷わらし」の話です。子どもの幽霊を「座敷わらし」と呼び、姿を見ると幸せになると語り継ぎました。河童は、その中でもやんちゃな子どもたちですから、イタズラばかりしています。

岩手県の高齢者は、この話を知っている人が多く、座敷わらしや河童の過去を知りつつも、彼らを近所や身内の子どものように愛して接します。騒いでいたら、お行儀が悪いと普通に注意をしたり、おりこうさんだと褒めたりします。彼らがいつもお腹(なか)を空かせているのを知っていますから、よく走り回る廊下や座敷に、おにぎりやお菓子を置き、供えるのです。

幽霊とは、はっきり言うと怪奇現象なのでしょうが、誰もそんなことは気にしていません。おまけに、彼らに奇跡や幸運も求めません。哀れで悲しい経験をした子どもたちが一人ぼっちにならないように、寂しくないようにということだけを気にしています。ですから岩手県には、座敷わらしのいる家がたくさんあります。

「座敷わらしって、居ることは十分わかるけれど、姿を見た人が幸せになるって、ホント?」と、お年寄りによく聞くことがあります。お年寄りはこう答えます。「自分と同じ境遇で、頑張っている人が大好きなんだよ。きっと、お天道様から『運』を預けられているんだろうね。気に入った人に寄り添って、プレゼントしているのだろうね。だから、姿を見たら幸せになっているって、本当の話のようだよ」。

繁盛している民宿や店舗の片隅に、お菓子が供えられていることがあります。優しい店主の元で、愛され、幸せに暮らしているのでしょう。民話は、時代を引き継ぐバトンタッチの要素も持っています。どんどん進化する現代ですが、心が取り残されないように、これからも民話を語り継ぎたいと思っています。

※タイトルにある「どんど晴れ」とは、どんなに空に暗雲が立ち込めても、そこには必ず一筋の光がさし、その光が少しずつ広がって、やがて真っ青な晴天になるんだよ、という意味です

プロフィル

ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)、『怪談研究クラブ』(金の星社)など。