現代を見つめて(42) 胸を痛めるとともに… 文・石井光太(作家)

胸を痛めるとともに…

昨年起きた東京・目黒区女児虐待死事件を覚えているだろうか。

当時五歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが、父親の雄大による虐待を受け、「もうおねがい。ゆるして、ゆるしてください。おねがいします」と書き残して死んでいった事件である。

今年九月に母親の優里(ゆり)、今月には雄大の公判が開かれた。そこでは、雄大による優里へのDV(ドメスティック・バイオレンス)と洗脳、結愛ちゃんに対する凄惨(せいさん)な虐待の実態が明らかになった。

二人がキャバクラで出会った時、優里にはすでに前夫の子である結愛ちゃんがいた。雄大との間に長男ができたことで再婚。当初、雄大は結愛ちゃんとのスキンシップを好む好青年だったようだ。

長男が生まれた後、雄大の態度が一変する。些細(ささい)なことで優里に毎日一~三時間の人格を否定するような説教をした。連日連夜にわたる言葉の暴力は優里の人格を壊し、支配下に置いた。

このため、雄大が結愛ちゃんへの虐待をはじめても、優里は守ることができなかった。ご飯をほとんど食べさせなかったり、朝四時に起こして異常ともいえる勉強をさせたりしても、優里は「結愛のためにやってくれていること」と考えて止めなかったのだ。最終的に、結愛ちゃんは骨と皮だけにやせ細り、命を落とすことになる。

この事件は二つの問題を示している。

・精神的なDVによる支配。
・母親の保護者としての責任。

優里が洗脳状態にあったのは事実だ。言葉の暴力は時に肉体的な暴力より被害意識が薄い分、人をより追いつめる。今回はそれが事件の一因になった。

他方で、母親には子供を保護する責任がある。夫を選んだ責任、洗脳から脱する責任、子供を守る責任……。彼女がそれを放棄したのは事実であり、今回、“保護責任者遺棄致死罪”で懲役八年の判決を受けたのはそのためだ。

昔は親が未熟であっても親族や近隣住民などが支えてくれた。だが、今は核家族の中で一から十まで親だけでやらなければならないため、保護者の責任を果たせない人が出てきている。時にそれが虐待となる。

現在、国がそうした親の支援を行おうとしているが、プライベート空間への介入は容易ではない。だからこそ、国だけに頼るのではなく、周りにいる私たち一人ひとりが友人として、地域の隣人として関わらなければならないこともある。それが結愛ちゃんの言葉に涙した私たちの責任ではないだろうか。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。

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