利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(32) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

新しい思想の必要性

令和になってから、良くないことが続いているように思うのは私だけだろうか。新内閣が組閣されつつあるまさにその時に、台風15号が来て千葉県に甚大な被害を与え、その傷が癒える間もなく、10月12日には記録的な大型台風19号が来て豪雨により各地に水害が生じた。

下落が続いている実質賃金だけではなく、8月については名目賃金まで2カ月連続して低下し、景気動向指数までが「悪化」に至った。しかも、10月から消費税が引き上げられて、市井の人々の生活が苦しくなった。さらに、関西電力経営陣の金品授受問題が発覚して原発をめぐる闇の一角が明るみに出た。

昔は、天変地異が起こると為政者に問題があるのではないかと疑われた。天譴論(てんけんろん)といって、徳のない為政者に天が罰を下すという考え方があったからだ。今日の世界観から考えても、政治経済の方は間違いなく人為の結果だから、社会には浄化が必要なのではないだろうか。

この際に必要なのは、やはり精神性を重んじる思想である。「政治哲学」と言ってもいいし、公共性に主眼を置いて「公共哲学」と言ってもいい。諸政党の離合集散や一時的なポピュリズムの勢いで解決できる問題ではないからだ。平成の時代を振り返って第24回で書いたように、政治経済の混乱は、大きく言えば、日本だけではなく近代西洋文明の行き詰まりから生じている。気候変動は近代産業文明がもたらしているからだ。さまざまな異常気象はその象徴的な現れであり、日本の酷暑や頻発する台風被害もその現れかもしれない。

リベラリズムをはじめとする近代思想だけでは、この大問題に対して抜本的な解決策を提起できない。文明的な危機を乗り越えるビジョンを提起できるのは、それらを批判して現れた「コミュニタリアニズム」という思想に他ならない。

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