おもかげを探して どんど晴れ(17) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

大人の世界で言う「復興」。しかし、子どもたちにとって切り替えは簡単ではありません。どんどん変わる光景、移り変わる環境についていけない子もいました。光景の移り変わりと生活のバランスが取れず、自分のペースが分からなくなることもありました。それでも子どもたちは、しっかりしていました。転校していく子が、担任の先生に言った言葉が私の胸を打ちました。

「先生、震災があってとっても怖い中で、ずっと今日まで守ってくれて、本当にありがとうございました」。被災地の子どもたちにとって学校は、ただの学校ではありませんでした。家族には、大切だからこそ心配を掛けられない、掛けたくないから、話せない。不安な心の内は学校で先生に聞いてもらう。そういう子が多かったようです。

岩手県は民俗芸能が盛んです。この時期は、多くの方々にご支援頂いて、震災が発生してから中断していた民俗芸能が次々と復活していきました。踊りとお囃子(はやし)、お供えのお米やお酒も多くの皆さんから支援して頂いたと教えてもらいました。

民俗芸能は、民俗信仰を基にしています。神や仏を奉(たてまつ)り、自分の命や亡き人の命が輝けるよう、そして生活の安寧や繁栄の祈願を行います。祈る気持ちが復活することは、未来に向かう気持ちが復活するということです。未来には、夢や希望が含まれます。人が集まることで、人と人とがつながり、コミュニティーが復活します。

広島県のある高校に、毎年「いのちの授業」に伺っています。広島県は昨年、豪雨に見舞われ、こちらの学校も被災しました。私は当時、ご遺体の復元と遺族ケアのSOSの連絡を頂いて、すぐに広島県に向かいました。帰り際、学校に立ち寄ると先生が話してくれました。

「スポーツの盛んな学校なのに、川が増水して氾濫し、グラウンドは砂で埋もれていたんです。東北の被災者の方がすぐに駆けつけてくれました。『私は東日本大震災で被災しました。その時、広島県の人たちにたくさん助けてもらいました。ニュースで見て、私が行かなくてどうするって思ったんです』。そう言って、子どもたちのために、とんでもない量の砂を全部解決してくれ、助かりました。被災した子どもたちが、あんなに熱心に部活に取り組めるのは、そう言った方々のおかげです」

そう話してくださった先生は、私の活動にもご協力くださっています。この先生は長く子どもたちの支援に携わってこられた方で、事情があって不登校になった子や進学に悩む子の相談に、何度も岩手県にお越し頂きました。

震災発生後、半年が過ぎてからのこの時期、それぞれの事情に応じて、人と人とがつながり合うために専門別の情報がとても必要とされていました。

復興のイメージは、「元通りの町並みと生活の回復」ですが、全てが元通りにはならないことは分かり切っていることです。現地で求められていたのは、町づくり――子どもから大人まで力を合わせてみんなで町をつくることであり、その中で一人ひとりが生活のリズムをそれぞれのペースで取り戻していくことだったのです。

理解してくれる人とのつながりがとても支えになりました。つながりからみんなが笑顔になれる案や行動する勇気が生まれ、それらが何よりのグリーフケア(悲嘆の援助)と言えるのではないでしょうか。

※タイトルにある「どんど晴れ」とは、どんなに空に暗雲が立ち込めても、そこには必ず一筋の光がさし、その光が少しずつ広がって、やがて真っ青な晴天になるんだよ、という意味です

プロフィル

ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)など。