おもかげを探して どんど晴れ(17) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

画・笹原 留似子

東日本大震災を振り返って(3)――震災から半年~1年

2回にわたって、東日本大震災発生から数カ月の期間で被災地で必要だった物や、私が出会った人たちについて紹介しました。今回は、震災発生後半年から1年ぐらいについて記します。それぞれの時期の特徴や、被災者に求められた物のことを伝えておくことが大切だとの思いが強くあります。

残念なことに、被災地では泥棒や詐欺の被害がありましたが、特にこの頃、多く発生していました。テレビや新聞で盛んに注意喚起が行われ、各都道府県の警察官が、震災初期に引き続き大勢支援に入ってくださいました。避難所では夜間、主に現地の男性の被災者と警察官がペアになってパトロールし、不審者はすぐに通報され、職務質問されていました。

避難所から仮設住宅へ移り住む時期を迎えた時のことです。今は笑い話ですが、私も被災者遺族に会いに仮設住宅を訪ねた時、駐車場に車を停めようとしたところで、職務質問を受けたことがありました。相手の警察官は、私が安置所に通っている時に顔見知りになった方でしたから、おそらく、住民以外の人には職務質問することが任務だったのではと推測するのですが、私は、どこの仮設住宅の誰に会いに来て、どれぐらいの所要時間かを伝えたことがありました(安置所で復元を行う時も、どの棺=ひつぎ=の、どの方かと、復元にかかる時間を伝えます)。「お疲れさまです!」と警察官に見送ってもらいながら、治安が守られていることを有り難いなと実感した瞬間でもありました。

冬の時期、仮設住宅は寒冷地仕様ではなかったため、水道が凍結して水の支援が必要になることや、仮設住宅の床から伝わる冷気で眠れない日が続く家も多く、絨毯(じゅうたん)の上に敷く毛布などの支援物資の呼び掛けをしたこともありました。

有り難いことに私のところには、子ども服やお菓子の支援物資がたくさん届きました。被災者遺族となった子どもたちに、服やお菓子を手渡しながら語り合い、相手が投げ掛ける言葉に答えるという日々を送っていました。

子どもたちと話す中で、「友達がみんな、転校していっちゃう」と、悲しんでいる子も多くいました。支援物資の中には文房具もあったので、彼らに渡しました。「転校するお友達も、いろいろな思いがあると思うけど、みんな一人ひとりがベストを探している時期だからね。みんなそれぞれが、一人ひとり違って良いと思う。寂しい気持ちを言葉に代えて、いつでも待ってるよって、送り出してあげようよ。これを渡してあげて。物は心をつなげてくれるから。この文房具を支援してくださった方々も、そうやって使ってもらうと、きっと喜んでくれるから」。

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