利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(29) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
選挙における宗教的・哲学的視座(3) 政治体制と生活の争点
こう熟慮しても、どの政党や政治家にも納得できないから投票する気になれないという人もいるだろう。でも棄権すると、結局は、よく考えないまま、世の雰囲気、空気に流されて投票する人たちによって政治が左右されてしまうことになる。これは衆愚政治を招きかねない。
政治は宗教とは違ってもともと世俗的な要素が大きいから、完全無欠であることはほとんどない。宗教的・精神的観点から政治について考える時に大事なのは、現実に可能な中でどれが最も良いかという思考様式だ。
そもそも内政・外交にさまざまな論点があるから、政党や政治家の中に、その全ての政策に自分が賛成できるものがあるとは限らない。支持政党の政策といえども全て共感できるわけではなく、他の政党の諸政策に比べて賛同する比率が高いというのが普通だ。
だから、仮に外交問題では自分と少し意見が違っていても、経済政策や消費税問題への対応に賛成だから、その政党を支持するということが起こるわけだ。この場合は経済的争点を柱に政党を選択していることになる。
どの争点を重視するか――この判断をする際に、宗教的・哲学的視座が生きてくる。自由や民主主義、そして平和憲法が形骸化してしまっているのならば、異議を唱えてその回復を求める最大の機会が選挙に他ならない。しかも今回の選挙で政権は改憲を最大の争点にしようとしており、多くの野党は現政権による改憲に反対している。安全保障関連法(安保法)についても、主要野党は廃止を要求し、立憲主義の回復を要求している。与党は強行採決を繰り返し自らが提出した法案は成立させるが、議論の場であるはずの国会をなるべく開催しないで済ませようとしている。だからこそ、民主主義の再生が強く求められている。宗教的・哲学的視座から見て、憲法や平和、民主主義や立憲主義といった政治体制についての大論点は大事だから、これらを最重要の争点と考えて投票を考えるというのが高邁(こうまい)な判断の仕方だ。
消費税や年金といった生活に関わる争点が浮上しているが、これらを優先して考えて投票することが悪いわけではない。大事なことは、自分自身にとって利益があるかどうかだけではなく、貧しい人々を含めて他の人々の幸せにつながるかどうかという考え方だ。これは愛や利他の精神、仏教で言えば慈悲の心に相当する。
しかも経済的な格差による貧困の問題は、結局は政治体制と大きく関係している。自由や民主主義が失われれば、統治者が人々の声を聞く必要は減るから、強者に有利な政治が行われて弱者が虐げられるのが、世の常なのだ。生活に直結する争点に注目して投票する場合も、それが自分だけでなく、全ての人の幸せにつながる政治体制の選択と関係していることを念頭に置くのが、宗教的・哲学的な見識である。