利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(29) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
選挙における宗教的・哲学的視座(2) 倫理的な中道
もちろん、選挙では税金や年金をはじめとする生活の問題や外交・憲法などについて考えることも必要だ。多くのこういった論点は左右の軸で考えられている。
民主政治においては選挙によって政権が交代することが時に必要だと考えられている。だから左右のどちらかが絶対的に正しいとか、間違っているとは考えられていない。ある時には、左派が主張する平等の実現に意味があり、別の時には右派が唱える秩序の回復が急務になる。
しかし、どちらかの極に偏ることは、危険である。だから極左や極右は警戒される。宗教思想や古典的な哲学では、極端な立場を避けて中央に近い立場を勧めることが多い。仏教ではそれが「中道」と呼ばれ、儒教やギリシャ哲学では「中庸」といわれている。このような考え方を政治的な左右に適用して考えれば、精神的・倫理的な「中道」が尊重されることになるだろう。
もっとも、その基準から見ても、その時々の真ん中の政党を選べばよいということにはならない。時代と状況によって、左右の配置が変化することがあるからだ。たとえば戦争直前の日本では、政府に明確に反対する党派は弾圧されていたから、全体が極端に右に寄っており、その中で中道を選ぼうとしても右にしかならない。
よって、左右の配置について時代や状況を超えて考え、中道を見つけることが必要になる。55年体制と言われた戦後の政党の対立関係を念頭に置いて現在の政党対立を見れば、図のようになるだろう。左派政党も含めて全体が大きく右に移動しているから、かつての中道は今では左寄りに見えるし、現在の配置において真ん中の立場を選ぼうとすると、かつての配置においてはかなり右派的な立場となってしまう(詳しくは小林正弥『武器になる思想――知の後退に抗う』光文社新書、第1章参照)。
かつては中道近辺に中道政党や宗教政党があったけれども、現在の与党は大きく右に寄っているというのが大方の見方だ。とすれば、今の時代において倫理的中道に相当するのは、どのような政党や政治家だろうか。これが考えるべき課題だ。