利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(27) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
日本における精神的状況と道義的頽廃
日本について言えば、戦前には神道や仏教が精神性の中軸をなしていたが、戦後には戦争の推進に加担した既存の宗教は批判の対象となり、代わってアメリカをはじめ西洋から文化が流入してきた。しかしキリスト教は一神教であるために多神教に馴染(なじ)んだ日本人にはさほど受け入れられず、今でも信者数は全宗教の信者の中の1%くらいにとどまっている。西洋的な個人主義はギリシャ哲学やキリスト教に思想的な淵源(えんげん)を持つが、日本ではそうした思想は抜け落ちたまま導入されたために、平成時代になると非倫理的な利己主義に陥ってしまった。
他方で神道・仏教では新宗教といわれる新しい流れが戦後に台頭した。しかし、敗戦後の貧しい時代に形成されたものは、平成時代になると社会状況やライフスタイルの変化のために勢いを失う場合が多くなっている。そこで人生に意味を求める若い人々は、ヨーガをはじめ新しい精神的運動に目を向け、昭和時代の終わり頃から「新々宗教」などと呼ばれる潮流が注目を集めた。ところが平成になるとオウム真理教による地下鉄サリン事件などが起こってそれに冷や水を浴びせ、宗教的・精神的な運動は退潮せざるを得なかった。
よって、今の日本人の多くは、確固たる精神的基盤を失ってしまっている。政治的なリベラル派は人権を強調するが、人々の生き方については括弧に入れていて、ほとんど何も語らない。それを批判する右派は国家主義を主張するが、国家への献身は宗教性や精神性とは同じではない。その結果、今の政治経済は精神的に荒廃し、政権や与党に嘘(うそ)や隠蔽(いんぺい)などの深刻な問題が次々と発覚しても、権力者はほとんど責任を取らずにその座に居座っている。つまり、この国の道義は頽廃(たいはい)してしまったのだ。これが露骨になったのが平成末期に他ならない。