利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(21) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

明治維新における公共的政治の理念

宗教政策に関しては明治国家の失敗から学ばなければならないとすれば、政治体制についてはどうだろうか。左翼的な歴史観では、「戦前の政治は結局、軍国主義化と戦争に帰結する」から、主として批判の対象となるが、少なくとも志士たちには今でも学ぶべきところがある。

本連載の第19回で、専制政府の打倒と文明開化において、彼らには先見の明があったと述べた。それは政治体制の構想についても当てはまる。幕末、志士たちは海外の政治体制についての情報を可能な限り摂取しながら、倒幕後の体制についても構想を思い巡らせた。西洋の学問や技術を導入しつつ、その政治の仕組みを参考にして新しい体制をつくろうとしたのだ。

まず、熊本で生まれた儒学者の横井小楠は、幕末にいち早くアメリカの共和政体などに示唆を受け、幕府の専制に対して、身分の違いを超えて誰もが学び、討議して「天下の公論」を形成する「公議」の政体を構想した。それは、諸大名や武士による「共和一致」の政治を目指すものだった。

この考え方が影響を与えて明治維新直後に「公議」が標榜(ひょうぼう)され、彼の門弟だった由利公正や、長州藩士だった木戸孝允の手によって、明治新政府の基本方針となる「五箇条の御誓文」がつくられた。第一条には、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と定められた。ここでいう「会議」とは、当初、封建的な列侯会議のイメージだったが、後には議会という意味に解釈されるようになった。また第四条は、「旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基づくべし」であり、この「公道」は国際公法とともに普遍的な宇宙の摂理に基づく公共的な原理や考え方を意味する。

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