『利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割』(20) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

神道から宗教的活力を失わせた明治政府

なぜこうした問題提起をするかといえば、実は明治憲法のもとですらこのような政治は行われなかったからだ。神道的な宗教国家をつくるという理想を掲げた志士たちや神道家は確かにいたのだが、実際には当時ですら挫折してしまったのだ。

一般の人々が反対したからだろうと思うかもしれないが、そうではない。当時は民主主義ではなかったので、薩摩、長州出身の元下級武士たちが、倒幕派だった一部貴族と共に実権を握っており、彼らだけで政策を決めることができた。そこで、実際に神道国教化を実行し始めたところ、思わぬところで問題が生じたのである。

神道を国教にするためには、その教えを統一的に決めて人々に布教していく必要がある。神道と仏教とは歴史的に深く結びついていたから、当時の政府は神官と僧侶に協力させて共に教えを説かせようとした。ところが、この間で紛争が起こってしまった。

そこで神道側は独自の教化活動を行おうとしたのだが、神道は歴史的に一元的な宗教ではなく、さまざまな神々を祀(まつ)っていた。その中で伊勢神宮を中心とするグループと、出雲大社を中心にするグループとの間には考え方の違いがあり、お祀りする神々をめぐって対立が激しくなってしまったのだ。

そこに、仏教側から批判がなされた。明治維新に協力した仏教勢力は薩長の人々にも影響を持っていたから、当時の政府はこれを無視できなかった。さらに、このような宗教体制はキリスト教を排斥することになるので、西洋諸国からの批判もあった。こうしてついに、明治政府は神道の国教化を断念したのである。

そこで政府は一応、「信教の自由」を実現するために、神道は宗教ではなく公的な道徳や祭祀(さいし)であるとして、神社を国家の機関のように、神主を公務員のような立場に位置づけた。国は神主が儀式の執行に専念するようにさせたので、その方針を徹底すれば神道の教えや信仰を神主が説いてはいけないということになったのだ。この結果、神道は宗教としてのダイナミズムを失い、第二次世界大戦になると、戦争へと人々を駆り立てる道具として政治に悪用されてしまった。

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