おもかげを探して どんど晴れ(4) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

優れた歌人であった和泉式部は、自身と他人の心のあり様を捉え、四季折々の変化を組み合わせて表現することが常でした。ですから、恐らく自分の心との向き合い方を知っていたのでしょう。娘さんとの死別後、信仰に支えられて、感情との向き合い方は、どのように移り変わっていったのでしょうか。

きっと、いつも心の中には娘さんの存在があり、手を合わせて過ごしたのではないか、さらに、姿は目に見えなくても娘さんと共に生きながら、行脚していたのではないかと思います。娘さんが眠る墓を常に心に持ち、心の中で花を手向け、話し掛け、和泉式部自身が目を落とす最期のその日まで、娘さんと共に生きていたのではないか――和泉式部は過去の人であるのに、私はそうであってほしいと願っています。

悲しみは、つらくて苦しいものです。でも、勇気を持って向き合う中で得るものは計り知れません。かけがえのない人との間で、たくさんの宝物を見つけ出す。新たな人生の旅が始まるとも言えるのです。

歌人・和泉式部も、育み続けた自身の世界観の中できっと、このような人生の旅路を歩んだのかもしれないと思います。

偲(しの)ぶ時間の中で、そよ風が吹き、蝶々(ちょうちょう)が遊びはじめ、一輪また一輪と花がゆっくりと開いていくことに気がつき、全てのものが愛おしくなる。そのように自分の周りを照らしてくれる存在に支えられながら、自然に身を任せることで自身に起きたことを理解して、人はあふれる思いを心に置き直していきます。

喪(うしな)った悲しみよりも、かけがえのない人とこの世で出会え、今も自分を支え共にいてくれていることへの愛おしさ、感謝の思いの方が大きくなる――悲しみの涙が、やがて愛情にあふれる涙になるのだとしたら、墓を水で洗い清くするように、日々の涙はゆっくりとその人の苦しみを流し、癒やし、新たな人生の旅路を照らし出してくれているのかもしれません。悲しみの涙によって磨かれ、やがてそこに潔い心が現れて、遺(のこ)された人の心の中に亡き人の居場所がつくられていくのでしょう。

和泉式部の人生から、私はそのことを強く感じてしまいます。そういう意味でも、和泉式部は素敵な女性であったのです。

※タイトルにある「どんど晴れ」とは、どんなに空に暗雲が立ち込めても、そこには必ず一筋の光がさし、その光が少しずつ広がって、やがて真っ青な晴天になるんだよ、という意味です

プロフィル

ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)など。

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