おもかげを探して どんど晴れ(4) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

画・笹原 留似子

墓は潔い心の中に

私の住む岩手県北上市には、「和泉式部の墓」があります。「和泉式部の墓」と伝えられる墓所は、全国にいくつかありますが、そのうちの一つです。

ご存じの通り、和泉式部は平安時代の歌人で、「小倉百人一首」にも、その歌が選ばれています。あまたの男性の心を虜(とりこ)にしたといわれるほど、女性としての魅力にあふれていたそうで、北上市の和泉式部の墓は、全国各地からファンが訪れる場所でもあります。ファン以外にも、「モテたい」「きれいになりたい」という女性も訪れています。和泉式部にあやかって、女性としての魅力を磨こうとする人々の意気込みを発揮する場所であるようです。

現代の人たちが特に気にするオシャレ――確かに大切なのかもしれません。でも、身だしなみという清潔感が、オシャレの土台には必要かなと思います。そこから自分らしい雰囲気を育むプロセスとして知識や教養を身につけ、倫理観を養うといったことがあり、そうした努力の果てに、大きな魅力が備わるのかもしれません。和泉式部が天才歌人として称された部分を見ると、そうも感じてしまいます。

例えば現代では、強く主張する、さらに議論で相手に勝つといったことが推奨されがちですが、一方的に意見を言うことだけが魅力的かと言えば、その判断は状況にもよるので、なかなか難しいですよね。目の前の人に恥をかかせることなく、嫌な気持ちを抱かせることもなく、相手に合わせて心に染みるように独自の伝え方を持っていたのが、和泉式部の魅力なのではないか。生活圏に和泉式部の墓があり、地元の人たちと歌人について話し合うたびに、そんなことを思うようになりました。

和泉式部については、華やかな恋多き歌人という若かりし時よりも、晩年の方に私は強くひかれるものがあります。

伝えられる話によると、和泉式部は最愛の娘を亡くしたことで寺に入り、人々の前から姿を消したといわれています。その後の消息は定かではないそうです。

かけがえのない人との死別。それによって、人は自身の人生を大きく変えることがあります。悲嘆のあまり、そうなった人は言動がそれまでと違うために、内実を知らない周囲の人の中には関わり方が分からず、「不思議な行動を取っている」という印象を持たれてしまうことが多々あります。他人の目には表面的にそう映るのかもしれませんが、当人の内面では、さまざまな感情が沸々と湧き起こり、心が大きく動いているものです。

和泉式部が立派な方だと私が思う理由は、大きな悲しみのせいで精神が乱れ、悪事を働くといったことがあったわけでもなく、誰にも迷惑を掛けずに過ごされたことです。大切な娘さんとの関係を整え直す時間に、ゆっくりと入っていたのではないのかと思います。

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