『現代を見つめて』(21) 相手を思い、どう伝えるか 文・石井光太(作家)

相手を思い、どう伝えるか

二〇一七年の流行語大賞は「忖度(そんたく)」だった。人の気持ちを推し量る、という意味だ。

この言葉の意味を考えながら新年を迎えて間もなく、メディアでこんな言葉を見かけることが増えた。

『学校へ行きたくなかったら、行かなくていいんだよ。行かない自由だってあるんだ』

新学期のはじまりは、不登校になる人が多いと言われている。この言葉は、いじめなどでつらい思いをしている子供に投げかけられたものだ。

たしかにいじめで自殺をするくらいなら、学校に行く必要はない。命より大切なものはないからだ。

しかし、である。私はこの言葉に違和感を覚えずにはいられない。学校に行かなかったとして、その時間をどう過ごすつもりなのだろうか。

学校は、学識をつける以外にもコミュニケーション力を磨いたり、社会に出て壁にぶつかった時の対応力を身につけたりする場でもある。十代のうちにその力を身につけるからこそ、社会の荒波の中をくぐり抜けられるし、自分の居場所を見つけることができる。

今は、インターネットだの、ゲームだの、人と交わらなくても十分に楽しめるコンテンツがたくさんある。もし学校がつらいからといって、家でそういうものに現実逃避すれば、社会適応力を身につけられなくなる。

私が先の言葉に違和感を覚えるのは、学校の代用となる場所が十分に整っていないのに、「行かなくていい」と無責任に言い放っている点だ。

もし子供が学校へ行かなくなったとして、そこからはじまる長い孤独の時間を誰が埋め合わせするのだろうか。その子が社会への適応力を失ったら、誰が責任を取るのか。

何が何でも学校へ行けと言っているのではない。不登校になった後のことまできちんと考えた上で発言しているのかと指摘したいのだ。

昨年、「忖度」という言葉は、森友・加計学園問題のせいで、いい意味で使われてこなかった。だが、もともとは相手の心中を慮(おもんぱか)って適切な言動をする際に使用されるものだ。

今年はきちんと相手の立場に立った上で、一人ひとりが本当の意味で温かい言葉を投げかけられるような年になってほしいと願う。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)がある。