現代を見つめて(18) 自分を定義づける概念 文・石井光太(作家)
自分を定義づける概念
同性愛や性同一性障害など性的マイノリティーについての理解が、ここ十年ほどでだいぶ広まった。
「生物学的な性」と「自身の性自認」に違和感を抱える人を社会として受け入れることは歓迎すべきだと思う。
ただし、ここには非常に複雑な一面もある。
たとえば、性自認が後天的な出来事でゆがむことがある。女性が性的虐待を受けることで男性への恐怖から性自認が変わって同性を愛したり、男の子として生きようとしたりする場合があるのだ。
精神科医は語る。
「子供は性的虐待の経験を打ち明けようとしませんが、性自認がズレていることで発覚するケースがあるんです。その時に必要なのは、あなたは同性愛なのね、と認めることではなく、性的虐待で背負ったトラウマを発見、治療して性自認のゆがみを正すことなんです。何でも認めればいいというものではないのです」
また、Xジェンダーという言葉がある。自分が男性なのか、女性なのかわからないということだ。思春期を過ぎても性自認が揺らいでいる人にとっては、自分を定義づけてくれる概念となる。
一方で、小中学生など精神の発育途上にある子供が、性自認に揺らぎを持つことは珍しくない。遅ければ、高校生でもいるだろう。
だが、先の精神科医によれば、現在の若い子の中には性的マイノリティーを「人とちがうかっこいいもの」と解釈する子がおり、揺らいでいる自分を早急に「Xジェンダー」と決めつけることがあるそうだ。そうなれば、正常な発育を妨げかねない。
私は性的マイノリティーの理解が広まることに賛成だ。
ただ、性自認は虐待など外的要因で変化する場合もあれば、発育途上で揺らぐ場合もある。何でも認めればいいというのではなく、個々の状況に応じた理解が必要なのだ。そうでなければ、逆に本来の性を見失うことにもなりかねない。
性的マイノリティーの概念の広がりと同時に、その複雑な部分も含めて理解をもっと推し進めていくべきではないだろうか。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)、『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)がある。