幸せのヒントがここに――仏典の中の女性たち(11) 文・画 天野和公(みんなの寺副住職)
彼女は喜び勇んで家々を回りました。みんな気前よく芥子の種を分けてくれようとするのですが、死人を出したことのない家など一軒もありません。どの家でも、今一緒に暮らしている家族よりも、亡くした家族の方がはるかに数が多かったのです。
足が棒になるまで街中を歩き、ついに夕日が傾くころ、疲れ果てた彼女は一つの答えにたどり着きました。「死別から免れた家などなかった。亡くならない人間はいないんだ」。そのまま彼女の足は森へと向かいます。それまでずっと抱きかかえていた息子の亡骸(なきがら)を、キサーゴータミーは夕闇の森にそっと置いてきたのでした。
精舎に戻った彼女に、お釈迦さまはこう語り掛けました。「命を失ったのはあなたの子供だけではない。死は生けるものの定めです。死は洪水のようにすべてを運び去り、苦しみの海に投げ入れます」。キサーゴータミーはこの言葉によって悟りの第一段階に達し、その後出家して完全な悟りを開きました。
ずっとずっと胸に抱いて離さなかった愛し子を、キサーゴータミーはどうして森へ置いてくることができたのでしょうか。死は誰しも平等に訪れると納得したから? もう生き返ることはないと理解したから?
私は、空っぽになった腕に、代わりに抱くものを手に入れたからだと思っています。もっと大きなもの、変わらないもの、二度と失う必要のない確かなもの。真理に出会って得た、ゆるぎない「智慧(ちえ)」です。必死に抱えていたものを安らかに手放せるよう、智慧が支えてくれた時、そこに感じた思いは決して絶望でも諦めでもなく、もっと温かく力強いものではなかったでしょうか。
真理に至る道は一つではなく、その道のりは一見遠回りにも見えるかもしれません。しかしその人にとって必要な過程がきちんとそこに用意されていたことを示すこのお話に、私は救いを覚えます。
参考文献:ダンマパダ・アッタカター(法句経注釈書)
プロフィル
あまの・わこう 1978年、青森県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業後、夫と共に仙台市に単立仏教寺院「みんなの寺」を設立した。臨床宗教師でもある。著書に『みんなの寺のつくり方』(雷鳥社)、『ブッダの娘たちへ』(春秋社)、『ミャンマーで尼になりました』(イースト・プレス)、 『その悲しみに寄り添えたなら』(イースト・プレス)など。
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