幸せのヒントがここに――仏典の中の女性たち(3) 文・画 天野和公(みんなの寺副住職)

画・天野 和公
無罪の幸せ――クッジュッタラー
幸せに暮らしたいなあ、という願いは万人に共通でしょう。では、一つ質問。
「あなたにとって、幸せってどういうことですか?」
うーん、家族そろって健康で、ある程度のお金があって、友人に恵まれて……? 仕事で成功して、いつまでも若くキレイで、それからそれから……? なかなか即答は難しいですね。お釈迦さまは「在家の楽」、つまり私たち一般人の幸せを4種類リストアップしています。
1.財産を所有する幸せ
2.財産を使う幸せ
3.債務がないという幸せ
4.罪がないという幸せ
前半二つは「ある」幸せ。後半二つは「ない」幸せです。「ある」幸せは想像しやすいですね。何かを持つ、何かを味わう幸せは、人生には欠かせないものです。しかしどれほどたくさんの富があっても、「自分には過ちがあった、非難されるようなことをした、あの人を傷つけた」「もしも誰かに知られたらどうしよう、報いを受けたらどうしよう」という憂いがあればどうでしょう? 安らぎは簡単に損なわれてしまいます。
「ない」ことの幸せは、何にも代えがたいもの。そんな幸せを自ら手にした、一人の女性がいます。
名前はウッタラー。「最上の」という意味の名前ですが、生まれつき背中が曲がっていたため、「クッジャ(曲がった)」という言葉をつけて「クッジュッタラー」と呼ばれていました。彼女はコーサンビー国のサーマーヴァティー王妃に侍女として仕えていました。
国王は毎日、王妃に花を買うためのお金を授けていました。お金を預かって、市場に花を買いに行くのはクッジュッタラーの役目。ところが、彼女はいつもお金の半分を自分のものにして、残りで花を買い求めていました。