法華経のこころ(10)

之を食(じき)して既に飽きぬれば 悪心(あくしん)転(うた)た熾(さか)んにして(譬諭品)

動物は腹いっぱい食べると、おとなしくなって、仲間と争うようなこともなくなる。しかし、人間は金持ちになり、なんでもできるような身分になってからも貪欲(とんよく)はますます強くなりやすい。人間のあさましさを戒めた句だ。

昭和50年代に、上京して4畳半の下宿暮らし。就職して、6畳と台所のあるアパートに移った。支局時代はそこにフロが付き、世帯を持って2DKフロ付きの生活。これ以下の生活には戻りたくない。

生活環境の変化に伴い、体重も増え続けた。タンスに掛かっている洋服は、体に合わなくなっていく。ベルトの穴も一つずれ、二つずれ……。それでも、おいしいものが並ぶと、つい手が伸びてしまう。

それだけではない。こと子供に関しては煩悩まる出し。生まれる時は「五体満足であってくれ」と願い、生まれたら「立て」「歩け」と、子に対する欲目が頭をもたげる。

それらの欲や煩悩は、無意識のうちにエスカレートするものである。世俗の生活者なんだから当然のことだ、と思えば済むことかもしれない。

しかし一方で、意識的に、例えば開発途上国の飢えや貧困について記事を書く自分がいる。冷静にその二つの自分の姿を比べ、自己矛盾と自己嫌悪に陥る。所詮、矛盾の連続が人間存在の姿なのかもしれない。

人間のあさましさの芽は、ひょっとして、当然と思える欲や煩悩の中に潜んでいるのでは……。
(O)