内藤麻里子の文芸観察(79)

天沢時生さんの『キックス』(集英社)は、亡き友への哀歌を謳(うた)いあげる、企(たくら)みに満ちたとびきり奇想の小説だ。哀歌を彩るのはキックス(これはスニーカーのスラングだそうだ)と、ヤンキーの抗争と、太平洋戦争だ。それらを言葉(物語)の贋作(がんさく)でくるみ込んでいるのである。何のことやらとお思いだろう。順を追って説明しよう。

大学生の佐治薫は、カラオケ店で深海温哉(しんかい・はるや)と出会った。圧倒的光を放つ温哉の影響で薫はライターになり、一方の温哉はスポーツアパレルブランド「サイファー」に見いだされ、天才シューズデザイナーの名をほしいままにする。ところが、伝説となるキックス「火喰鳥(キャサワリー)」を残し、自死してしまう。知り合ってから4年半、薫は葬儀のために温哉の故郷、滋賀県に向かう。そこに待っていたのはギャングチームだった。

舞台となるこの滋賀県がとんでもなかった。ヤンキー漫画さながらに、東西南北四つのシマに分かれて四大勢力がひしめき合う。例えば湖東は「霊車会(レイカーズ)」、湖西は「魍魎戦鬼(マダラ)」といった具合だ。霊車会のキングは金になるという理由でキックスのコピーを作っていた。このキングの正体が驚きなのだが、それはともかく彼の贋作師としての腕は一流。薫は共に偽物を作り、温哉の伝説の復活をもくろむ。

ここに各ギャングの実情、温哉が生前密かに温めていたキックスのアイデアである戦前の飛行機「翦風(せんぷう)号」、アメリカの人気ラッパーのハミード、広域暴力団などが絡み合って、見たこともない世界を現出する。

ところで、物語の幕が開いて間もなく、温哉のこんな言葉がある。「キリストも最初はカルトだった。ジョン・レノンだってそうさ」「どんなにデカい噓だって、吐き通せば本当になる。そうやってでっちあげられたもんだけが持つ、いっとう特別な美しさがあるんだ」――この贋物を本物にするという熱が全編を貫く。最初は温哉のキックスを贋物で蘇(よみがえ)らせること。そのために死線をくぐる交渉を経て、薫は「言葉の贋作師」を自認する。やがて過去の亡霊のような人物たちが登場するに及んで、エピソード自体もどれが贋物でどれが本物か曖昧になる。薫自身も意識はおぼろになり、絶体絶命に追い込まれていく。

スラング交じりの切れのいい表現でクールに作り込んだ物語世界。血と暴力、悪徳、宿命や幻想が入り乱れて眩惑(げんわく)された末に見つけたのは、「これは青春物語、か?」という思いだった。してやられたと、笑わずにはいられなかった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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