共生へ――現代に伝える神道のこころ(5) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)
人々の暮らしをいつも見守り、心に安寧をもたらす神を頼りに
前回は、主に至高神、霊威神、機能神の三種類に分けて日本の神々の分類、役割について述べた。もう少し詳しく知りたいという読者の方々もいると思い、今回は、前回分類した神々の話を基に、もう少し話を続けてみたい。
まず前回、至高神として紹介した氏神神社についてである。いわゆる氏神様は、個々の土地に縁のある神々を祀(まつ)って氏神神社となるパターンもあるが、地縁や血縁が発達して氏族社会が生まれる中で、一族の団結のため、氏の一族の先祖となる祖神を氏神として祀るようになったケースもある。
中でも、氏神の中の氏神、総氏神とも言える存在は、皇室の祖神を祀る伊勢神宮であり、そもそもは個人的な祈願はできない「私幣禁断」の社(やしろ)であった。中世以降に解禁され、以後は庶民の伊勢信仰の高まりとともに日本人の総氏神として崇(あが)められるようになったことでも知られる。
氏神神社は、個々の土地の神様であるため、まさに地域住民の団結の証(あかし)ともいうべき社である。その土地に宿り、人々を守る神様として祀られ、崇められてきた歴史を持つこともあって、氏子区域の人々をいつも見守ってくださるオールマイティーな社でもある。地域のまさに「お宮」と呼ばれる存在であるため、ある意味、社名や祭神名などの名前を意識しない社でもあることから、常に頼れる神でもあり、どのような祭神であっても、その氏子地域の住民にとっては、「困った時の神頼み」という存在である。時には学業成就を祈られることもあれば、安産や病気平癒、厄除け、商売繁盛を祈られる神様にもなる。病院で言えば、地域のかかりつけ医のような存在――それが氏神神社であると言えよう。
しかしながら、地域のかかりつけ医が全ての病気を治療し、地域の医療問題を解決できるわけではない。神社でいえば、氏神神社が人々の暮らしをいつも見守ることで精神的な安寧を得ていても、社会の発展や環境の変化とともに暮らしが安定すると、人々がそれぞれ独自の考えや生き方を模索するようになり、神々により高いものを願い求めるようになる。それゆえに登場するのが、いわゆる機能神の存在だ。個々人の多種多様な願望を個々の神々の来歴や神社鎮座の由緒等に当てはめて考えるようになり、氏神以外の神社に詣でて願いを捧げるようになってゆく。