新型コロナウイルスへの対応の中で 教えを支えに日々を過ごす会員たち(28)

国内で新型コロナウイルスの感染拡大が続き、立正佼成会ではさまざまな集いを控えています。こうした中、会員はどのような思いで過ごしているのでしょうか。それぞれの場で精進を重ね、サンガ(教えの仲間)と心をつないでいる会員の声を紹介します。今回は、府中教会青年男子部副部長、萩教会会員です。

患者さんの精神的なサポートを

府中教会青年男子部副部長(24歳・男性)

昨年の春から理学療法士として働き始めました。病院では、主に高齢の患者さん方に運動機能の回復などを目的としたリハビリを行っています。

今年、国内で新型コロナウイルスの感染者が急増し、私が働く病院でも、入院中の患者さんやスタッフから感染者が出ました。恐怖感が募り、「自分にうつるかもしれない」「人にうつすかもしれない」という緊張感の中、防護服を着て患者さんのケアにあたる日々が続いたのです。その中でも、朝のあいさつや「ハイ」の返事といった「三つの実践」を心がけることで、自然と心が整い、前向きになれました。

入院中の患者さんは、体が元のように回復するのかという心配に加え、感染の不安も抱えています。コロナ禍で面会が制限され、家族への思いも募らせています。私は、そうした気持ちに耳を傾け、ご家族からの言葉をお伝えするようにしています。相手の良い所を見つけてお伝えすると笑顔になって頂けます。リハビリだけでなく、精神的なサポートも大切にしたいというのが願いです。

この仕事を志したのは、足を骨折した高校生の時、理学療法士の方に支えて頂いたことがきっかけです。回復した時、私も苦しむ人の役に立ちたいと思いました。今、患者さんから、「ここまで治ったのも、あなたのおかげ」「コロナ禍で大変な中、無理はしないでね」と、感謝や気遣いの言葉を頂くことが何よりの喜びです。つらい状況にあっても、周囲への感謝を忘れず、自分にできることを精いっぱいさせて頂こうと思います。

追善供養を娘と共にできる喜び

萩教会会員(81歳・女性)

8年ほど前から毎月、支部の方に来て頂き、自宅で追善供養をしています。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行で依頼ができなくなりました。

私にとって追善供養は、亡き両親や夫に思いを馳(は)せ、“対話”する時間です。〈こういう状況だから仕方ない〉と思うものの、供養ができないことで、次第に申し訳なさが募りました。

その気持ちを支部長さんに打ち明けると、「教師」資格を持つ私が導師をつとめて行うことを勧めてくださいました。アドバイスに従って、昨年2月以来となる追善供養をさせて頂きました。心のモヤモヤが晴れていき、改めて先祖への感謝を深めることができました。

昨年9月のお彼岸のことです。いつものように一人でご供養を始めようとすると、同居する娘が私の後ろに座りました。娘は佼成会の活動に反対しませんが、自分が関わることもありません。娘の行動に驚きましたが、読経中、娘がいてくれることが有り難く、うれしさが込み上げました。

それ以来、毎月の追善供養は娘と一緒にするようになり、最近は、娘も経典を読誦(どくじゅ)しています。当初、娘は同席した理由を「気まぐれ」と言っていましたが、メモ用紙に「自分も何かできることがあれば」と記されているのを目にし、先祖を敬う大切さを感じてくれていると感激しました。

コロナ禍は、不自由なことが多いですが、親子の会話が増え、絆を深める機会になっています。今できることに目を向け、身近にある幸せや喜びに感謝し、日々、楽しく過ごしたいと思います。