利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(40) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
画・国井 節
二重の明るいニュース
先月、この連載で、私たちは二重の危機にあると記した(第39回)。新型コロナウイルス問題による生命の危機と、検察庁法改正による「法の支配」の危機だ。その直後の5月25日に緊急事態宣言が解除され、これに先立つ同20日に政府は検察庁法改正を断念した。どちらも、久しぶりの明るいニュースだ。でも、安堵(あんど)はできない。私たちはここで何を考えて、どう行動すべきだろうか。
全世界で死者が46万人を超える中(6月22日現在)、新型コロナウイルスの被害は日本では少なかったと言う人がいる。しかし、死者が11万人を超えるアメリカをはじめ非常に深刻な西洋諸国と比較すると、アジア東部・大洋州諸国は死亡率がその1%くらいであり、その中では人口比でフィリピンに次いで2番目に死者数が多い。政治の失敗による死がここに含まれている。私たちは瞑目(めいもく)してその死を深く悼む必要がある。
コロナ禍を戦争にたとえれば、今は“休戦状態”のようなものだ。とはいえ、東京の感染者数が再上昇したという不気味な兆候もある。平静さが少し戻り始めたこの時に、再び戦火が燃え上がらないように、反省しつつ検査体制や医療施設の整備と拡大に力を注ぐ必要がある。
他方で、強行採決を常とする現政権が検察庁法改正を断念したのは、数百万という規模で人々がツイッターなどで反対の意思表示をし、支持率が急落したからだ。同時に、この法改正によって検事総長になる可能性があった東京高検検事長は、賭け麻雀をしていたことが報じられて、辞任した。本来、検察は法的正義の担い手として国民から期待されるのだから、モラル欠如は甚だしい。その処分は不当に軽いものであり、さらに持続化給付金の再委託で「中抜き」が批判されるなど、疑惑はとどまるところを知らない。
さらに前法相とその妻の国会議員が買収容疑で共に逮捕される(6月18日)という前代未聞の不祥事が生じた。この政権では前の法務省トップと検察ナンバー2が犯罪行為を行っていた疑いがあるわけだ。甚だしく蔑(ないがし)ろにされてきた国法や正義が、回復される過程がここから始まると期待したい。