新型コロナウイルスの対応の中で 教えを支えに日々を過ごす会員たち(12)

国内で新型コロナウイルスの感染拡大が続き、立正佼成会ではさまざまな集いを控えています。こうした中、会員はどのような思いで毎日を過ごしているのでしょうか。それぞれの場で精進を重ね、サンガ(教えの仲間)と心をつないでいる会員の声を紹介しています。今回は、川崎教会壮年部員と高岡教会支部長です。

相手の立場を考え、謙虚に

川崎教会壮年部員(45歳・男性)

川崎市内で建築業を営んでいます。春先は集合住宅の内装工事を請け負い、例年は大半の入居者が仕事に出ている間に作業をするのですが、今年は新型コロナウイルスの影響で在宅勤務の方が多く、これまでになく工事への苦情が寄せられ、大変でした。

4月中旬、入居する一人の女性が工事現場に来て、工事の音がうるさいと作業の中止を訴えてきました。工事で音が出るのは致し方なく、納期を守るために必死だった私には、彼女が工事を邪魔するクレーマーのように見え、なるべく関わりたくないと考えていました。しかし、この時ふと、私が所属する「六花(りっか)の会」(仏教精神を生かした経営を目指す本会会員有志の組織)の行動規範にある「まず、私から『人と繋(つな)がります』」という言葉を思い出しました。彼女とのご縁を修行の機会にしよう――そう心に決めた私は、毎日彼女にあいさつすることにしました。

数日続けると、それまでが嘘(うそ)のように打ち解け、彼女が塾の講師であること、コロナ禍で教室が開けず、オンラインでなんとか授業を続けていることを知りました。騒音があると授業ができず、彼女にとっては死活問題です。彼女の事情も知らず、自分の都合で相手を判断していたことを恥ずかしく思いました。

佼成会では、「まず人さま」と教えられています。相手の立場を考え、謙虚に目の前の人と向き合うことが大切であると、今回、改めて教えて頂いたように思います。

画・茨木 祥之

父と向き合うチャンスを頂き

高岡教会支部長(58歳・女性)

13年前に実の母が亡くなり、以来、父は私たち家族と同居しています。私は幼い頃から父と折り合いが悪く、何度も言い争いがありました。同居後は私がお役で家を空けることが多く、顔を合わせる時間も限られていたため表面的には穏やかな関係でした。

ところが、新型コロナウイルスの影響で教会が閉鎖になり、日中、父と二人で過ごすようになると、無性に息苦しさを感じ始めたのです。今まで心の奥に閉じ込めていた父への複雑な思いが噴き出し、苦しくなりました。

ある時、書棚の整理をしていると、一枚のメモが出てきました。「仏の子であると自覚することは、全てを自分の宝物にすることです」。それは以前、私が書き留めた光祥さま(庭野光祥次代会長)の言葉でした。その言葉を心の中で反すうするうち、父を敬遠する今の自分を変えたいという思いが湧いてきたのです。

さらにその頃、教会長さんが全会員に送られた、『こころ一つに』と題する誓願の言葉が届きました。私はそれを毎日唱えながら、父に明るい笑顔で接するように心がけました。やがて、少しずつですが、ためらいなく言葉を掛けられるようになりました。すると、父の表情も和らぎ、趣味の山野草の話や、母との思い出などを楽しそうに話してくれるようになったのです。長年の父へのわだかまりが消えていくようでした。

この自粛期間に、仏さまは父と向き合うチャンスをくださったのです。今後も身近な家族への感謝を忘れずに精進していきます。