「普門館とわたし」特別編――識者の思い(1)
梅津有希子(ライター、『青空エール』の監修者)
普門館が解体される前に、一般開放イベントが開催されると知った瞬間、「絶対に行く」と決めた。かつて全日本吹奏楽コンクールの会場であった普門館。中高の吹奏楽部時代、憧れてやまなかったあの黒い床にまた立てると思うと、想像するだけで胸が高鳴る。
もちろん、普門館開放イベントの初日に普門館へ向かった。ステージに立ち、宇宙空間のような客席を眺めた瞬間、「そうだ、この風景だった」と胸がいっぱいになり、さまざまな感情がこみ上げてきた。
札幌白石高校時代、2年と3年のときにコンクールメンバーとして全国大会に出場した。かつて自分が座った席のあたりに立つと、指揮者の米谷久男先生越しに、「あのエスカレーターが見えていたなぁ……」などと当日の景色がよみがえる。ピカピカの黒い床は、当時「スカートの中まで映るんじゃないか」と言って、みんなで笑い合ったものだった。
反響板の寄せ書きを見ていると、懐かしい学校名がたくさん書かれている。習志野、野庭、洛南、淀川工業(現・淀川工科)、天理などなど。一緒に全国大会に出場していた学校を見掛けるだけで、無性にうれしかった。みんなの想いのこもったメッセージを見たり、知らない人でも笑顔で楽器を吹く姿を眺めていたりするだけでも幸せな気持ちになり、「よし、最終日まで毎日通おう」「7日間寄せ書きを書こう」と連日の普門館通いを決意した。この幸せな光景を最後まで見届けたかったのだ。
北海道代表としてずっと一緒に普門館に出場していた“永遠の同志”、東海大四(現・東海大札幌)高校吹奏楽部の同期OGとステージで再会して写真を撮り、天理や埼玉栄、関東一高のOBを見掛けては話し掛け、思い出話に花が咲くなど、まるで大同窓会状態だった。とにかく懐かしくて楽しくて、そしてうれしくて仕方なかった。
「そうだ、せっかくだから」と、白石高校のOB・OGたちで「ユニホームを着てステージに立とう」という計画が急きょ浮上し、靴下や白シャツなど大急ぎで足りないものをそろえた。我々のステージ衣装は赤いブレザーに白いスカート、紺のネクタイというスタイル。このユニホームには、皆、大変な思い入れがある。卒業後着る機会はなかなかなかったが(そりゃそうだ)、「ここで着なくてどこで着る!」と勇気を出して着ることに。合言葉は、「赤ブレザー みんなで着れば 怖くない」。
5人で赤ブレを着ていると、外で並んでいるときからたくさんの人に声を掛けられた。「白石だ!」「生徒じゃないよね?」と不思議そうな視線も突き刺さるが、5人いるので気にしない(笑)。
24年ぶりに着るユニホーム。スカートのホックが閉まる喜びもさることながら、仲間たちと一緒に、再びこの衣装でこの舞台に立てたことは、一生の思い出になった。印象に残るユニホームだったのであろう、常総学院OBや中村学園女子OGなど、「白石ですよね」とたくさんの人が話し掛けてきてくれたのもうれしかった。
普門館の解体はただただ「寂しい」のひとことだけれど、しっかりお別れをしようと1週間通い、毎日普門館に感謝の気持ちを伝えることができて、ようやく気持ちの整理がついた気がする。こんな素晴らしいイベントを企画してくださり、連日笑顔で出迎えてくれ、快く記念撮影のシャッターを押し続けてくださった立正佼成会の皆さま、心から感謝します。長年にわたり、全国の吹奏楽部員に夢の舞台を貸してくださり、ほんとうにありがとうございました。
青春のすべてだった普門館、ありがとう! これからも永遠に忘れない……! (寄稿)
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