円実寺で第七百三十六回波木井山川施餓鬼法要 庭野会長が法話 本会56教会から1191人が参加

開祖さまとのご縁を胸に 波木井山円実寺住職 岩田日見

午前の部の法要前に、唱題の導師を務めた岩田住職

甲斐の国(山梨県)身延の地に日蓮ご聖人を招き、所領の身延全山と十間四面のお堂を寄進したのが、波木井公(南部六郎実長公)でありました。ご聖人に深く帰依した波木井公は、のちにご聖人のもとで出家し、ご自身の波木井城をお寺に改め、ご聖人から円実寺と命名して頂きました。法名を日圓と申しました。

日蓮ご聖人は、『波木井殿御書』にこう記されております。『波木井の殿の御育(はぐく)みにて、九箇年の間身延山にして心安く法華経を読誦(どくじゅ)し奉り候ひつる志をば、いつの世にかは思ひ忘れ候べき』。供養の誠を捧(ささ)げた波木井公に深い感謝の心を表したものです。

開祖さまと脇祖さまも、このような縁起を知ってのことだったのでしょう。第二次世界大戦後の昭和二十一年に初めて、おふたりが波木井山にお越しになり、参拝されたと聞いております。立正佼成会と円実寺との所縁は古く、また、今日まで浅からぬ交流を続けさせて頂いているわけであります。

「第七百十四回波木井山川施餓鬼法要」で法話に立つ庭野開祖(平成8年8月19日)

当時の本堂は大変古く傷(いた)んでおりました。明治年間に二度火災に遭い、その後古い用材をもらい受けて建てた仮の本堂でした。師父・岩田日成(にちじょう)上人が住職となり、お寺に入った私共弟子の小僧たちは、雨が降るとそれはもう大変だったことを覚えています。真夜中でも起こされて、バケツやたらいを持って庫裏(くり)から本堂へ走りました。雨漏りをそれで受けるのです。

何とか再興をと、師父が全国行脚を始めようと考えていたところ、脇祖さまから「寺でしっかり布教をしながら、ご寄付を頂いてはどうか」と言われたそうです。開祖さまと脇祖さまは「日蓮聖人の大恩人の波木井公のお寺をこのままにしておけない。私共も応援させて頂きます」と決意され、佼成会の会員の皆さまにも呼びかけてくださいました。

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