円実寺で第七百三十六回波木井山川施餓鬼法要 庭野会長が法話 本会56教会から1191人が参加

会員と檀家(だんか)信徒の皆さまの真心からの浄財を頂戴し、昭和二十五年に本堂再建工事にとりかかり、二十七年六月に落慶法要を厳修するに至りました。この時の大工棟梁は佼成会の会員で、二年半もの長きにわたり、ほとんど泊まり込んでの作業でありました。こうして、波木井公が日蓮ご聖人に寄進したのと同じ十間四面のお堂が完成されたのです。(中略)

庭野開祖、長沼脇祖が円実寺に奉納した太鼓

開祖さまは、第二修養道場(のちに研修会館)が落慶したおり(昭和二十六年)など、節目節目に円実寺を参拝されておりました。毎年欠かさず参拝されるようになったのは、(中略)昭和三十年ごろからのことです。それ以降、平成八年まで、海外へ渡航するという理由で一回だけお休みになったほかは、毎年、波木井山川施餓鬼(かわせがき)法要に参列されました。

また、「波木井山開山・法寂院日圓上人第七百遠忌(おんき)報恩(慶讃)大法要」(平成八年九月)に参列して頂けたことは、それが最後の波木井山参拝となってしまったことを除いては、今も大きな喜びであります。

開祖さまはこの時、次のような「お言葉」を述べられました。

「日蓮聖人に帰依し身延全山を寄進した波木井公の精神こそ、私たちが見習うべき在家修行者の見本です」(『佼成新聞』から)

初めて波木井山を参拝されてから五十年間、これが一貫したお考えだったと思わせて頂きます。

師父・日成上人は、しばしば申しておりました。「波木井山が今日あるのは、開祖さま、そして脇祖さまのお慈悲のお陰さまなのだから、ゆめゆめ忘れてはいけないぞ」。その言葉は、厳しかった師父から受けた薫陶のひとつとなっております。
(『庭野日敬追悼集二「把手共行」』=佼成出版社=から抜粋)

プロフィル

いわた・にちけん 本名は岩田惠嵩(えしゅう)。昭和10年、愛媛・松山市生まれ。小学4年を修了した11歳の時、岩田日成上人のもとへ弟子入りし、21年、同師について得度。立正大学仏教学部宗学科卒業。身延山信行道場の修行を経て日蓮宗僧侶の資格を取得。37年、日蓮宗大荒行堂で寒百日間の初行を成満して日蓮宗修法師になる。平成4年、三十五世鏡行院日見上人として波木井山円実寺の住職を継ぐ。