内藤麻里子の文芸観察(43)

犯罪に手を染めたり、犯罪者として糾弾されたりする人々に何が起きていたのか。川上未映子さんの『黄色い家』(中央公論新社)は、なかなか見えてこない彼らの裏側にある一つの類型に切り込んだ。それは、家にいられない少女たちが模索する生きる道であった。

惣菜店のバイトで暮らす40歳の伊藤花は、ある日、ネット記事を読んで取り乱す。吉川黄美子という60歳の女性が、若い女性を監禁、暴行して罪に問われていた。彼女は20年ほど前の数年間を花と暮らしていた女性だった。

花が黄美子に初めて会ったのは15歳の夏。母の知り合いだった。花の父は行方不明で、水商売の母はほぼ育児放棄。高校2年の時、家を出て、元の経営者から引き継いだスナック「れもん」で黄美子と共に働き始める。やがて近所のキャバクラで働く加藤蘭、客に連れて来られた高校生の玉森桃子と知り合い、家に帰れない少女3人と黄美子は同居することになる。危ない均衡の上に成り立つ、ぬるま湯につかったような生活が繰り広げられる。

身分証明書も健康保険証もない寄る辺なき境遇や、周囲の大人たちの姿から見えてくる年金も預金もない将来に不安感は増す。けれど彼女たちは「れもん」でどうにか食べられるだけのものを稼げば、遊びに行くし、家ではただテレビを見て笑っているだけ。桃子は金持ちの娘だが、家庭崩壊している。この崩壊の様子もすさまじく、特に美人なのに歯を磨かない妹の存在は強烈だ。

この生活の危うさを認識するのは花だけ。自分がここを守らなければと追い詰められ、犯罪に手を染めることになる。けれど、次第になぜ自分だけがと不満が生じ、崩壊へのカウントダウンが始まる。花たちは逃げ切れるのか。この時、ポイントとなるのが黄美子だ。彼女は幼い頃、右と左の区別もつかなかったというほど、どこか足りない人だ。花たちはこれを利用して逃げようとするし、20年後に花が気づいた事件でも黄美子は利用されていたのかもしれない。事件の裏にはこんなことが潜む可能性もあると突きつけてくる。

さて、花たちを取り巻くのは銀座のホステスや、裏社会の住人たち。彼らが語る金、ギャンブル、裏社会事情などは例えやエピソードが秀逸で夢中になって読んでしまう。稼ぐためにリスキーな道に入った花は、最初は怯(おび)えていたが、慣れるにつれて心根というか所作が「たいら」になっていく。それを水が入った洗面器に例え、以前は水がこぼれるのを心配していたが、「今は水のことを心配しなくなった」という。こうした表現が随所にあって、悪を描いていくのだからたまらない。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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