内藤麻里子の文芸観察(52)

2024年最初の1作は、音楽ミステリーを取り上げたい。逸木裕さんの『四重奏』(光文社)である。音楽を含めた芸術というものを我々は理解できているのかという命題を掲げ、理知的でありながら音楽のパッションにあふれた上質なミステリーになっている。

28歳のチェロ奏者、坂下英紀は音楽だけでは食えず、漫画喫茶の深夜バイトを掛け持ちするしがない日々を送っていた。そんな中、音大時代の友人、黛(まゆずみ)由佳が放火事件に遭い死亡した。その死に不審を抱いた英紀は、彼女が所属していた「鵜崎(うざき)四重奏団」のオーディションを受け、真相を追い始める。

四重奏団を主宰する鵜崎顕(あきら)は「火神(アグニ)」と呼ばれる怪物的チェリストで、既存の音楽界とは一線を画していた。その音楽理論がすさまじい。いわく「クラシック音楽に限らず、人間は難しいことなど何ひとつ理解できない。(中略)抽象から理解できる具象のみを取り出し、手前勝手に解釈をしているだけだ」。だから音楽家の仕事は、「テクニックと、演技力」によって〈解釈〉を与えることだと言うのだ。しかも曲をどう弾くかは、自分で考えるのではなく「模倣しろ」と言う。「曲の研究、勉強、オリジナリティの追求……そんなことをやっているから、皆、悩んで行き詰まるのだ。(中略)あちこちから模倣したものを最適な順番で、演技とともに観客の前に並べればいいのだ」とのたまう。

確かに鵜崎の言う通り、私たちはストラディヴァリウスと現代の楽器を聞き分けるのは困難だし(だから「芸能人格付けチェック」などのテレビ番組が人気なのだ)、老いた演奏家や指揮者の衰えたパフォーマンスも、今までの名声に目がくらんで正しい評価は放棄している。小説を読むのも、勝手な解釈をしていると言われればその通りだ。

しかし主人公の英紀は、鵜崎とは対極にある「曲の研究、勉強、オリジナリティの追求」をしてきた奏者だ。それでも鵜崎にのみ込まれ、徐々に虚無的になっていく。そもそも自由な演奏スタイルが魅力だった由佳は、なぜこの四重奏団に入ったのか。ここに音大時代の恩師や後輩、エキストラとして呼ばれたオーケストラ、過去のいきさつなどが絡んで重層的に展開する。英紀の混乱と、由佳の本当の姿をめぐり、鵜崎の理論に揺さぶられながらストーリーはぐんぐん進んでいく。

混沌(こんとん)とした事態にかく乱されたがゆえに、英紀がたどり着いた由佳の死の真相と、表現とは何かの決着は、見事な着地を見せる。音楽家の事情が垣間見えるのも面白かった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

【あわせて読みたい――関連記事】
内藤麻里子の文芸観察