内藤麻里子の文芸観察(54)

テレビで観(み)るだけだが、実はバレーボール観戦が大好きだ。ミュンヘン五輪で金メダルを取って以降、長く低迷した全日本男子の試合も、忍の一字で放送されれば必ず観続けてきた。最近は世界に伍(ご)して闘う力をつけ、本当にうれしい。そこで手にしたのは、坪田侑也さんの『八秒で跳べ』(文藝春秋)である。

主人公は高校2年のバレーボール部員、宮下景。しかしこれは熱血バレーボール小説でもなければ、キラキラ青春小説でもない。壁にぶつかった若者が立ちすくむ姿を丁寧に描いた、極めて誠実な小説だ。読み始めても、すぐにそうと分からない。なぜならスポーツ小説と聞けば、つい熱血やキラキラを期待してしまうからだ。読み進むうちに心が鎮まっていき、終幕では主人公の流れ出した時間に快哉(かいさい)を叫び、著者の誠実さに感じ入った。

景は中学からバレーを始め、高校でも2年生でレギュラーメンバーだった。アタッカーとして順調な道を歩んでいたが、高校バレーで最も重要な大会「春の高校バレー」の県予選の最中、右足首に靭帯(じんたい)部分断裂の怪我(けが)を負ってしまう。最初は治れば元に戻ると思っていたのに、復調後、自分の体が思うように動かせない。初めての挫折と言っていい事態に見舞われる。一方で、怪我を負う遠因に絡む美術部員、真島綾は、1年前に漫画の新人賞で佳作を取って以来、作品が描けなくなっていた。思い悩む二人の日々が交錯しながら物語は展開する。

もちろん個性的なチームメイト、クラスメイトが登場し、瑞々(みずみず)しい高校生ライフも活写される。バレーボールについても初めて知ることが多い。なぜ試合中、点を取ったり取られたりするたびにコートの真ん中に選手が集まるのか、その理由に目を開かれる思いがした。また、ブロックにボールが当たると「大勢の人間が一斉に手を叩いたような破裂音」がするらしい。なにせこちとらテレビ観戦専門ときている。試合会場に行かなければ味わえないリアルを思い知らされ、足を運びたい気持ちがふつふつと湧いた。

景と真島は少しずつ影響を与え合いながら、それぞれバレーと漫画を見つめ続ける。そしてたどり着いたバレーをやる理由、漫画を描く理由はとても単純なことだった。しかしそこに行き着くのは案外難しい。その微妙なところを物語にした力量が光る。

著者は2018年、15歳の時に書いた『探偵はぼっちじゃない』でボイルドエッグズ新人賞を受賞して、翌年デビューした。中学、高校時代はバレー部に所属。現在は慶應義塾大学医学部3年在学中という異色の経歴だ。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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