内藤麻里子の文芸観察(22)

『島はぼくらと』(2013年)、『かがみの孤城』(2017年)など少年、少女を描いて定評のある辻村深月さんが、『琥珀の夏』(文藝春秋)で新たな舞台に挑戦した。それは、自らは「宗教」と名乗らない設定の、集団生活をする思想団体である。

ある日、静岡県内にある団体施設跡地で女児の白骨遺体が発見される。そこは〈ミライの学校〉と呼ばれる団体が本部を構えていた場所で、団体の理念に賛同する親たちの子どもが共同生活を送っていた。

遺体発見のニュースを目にした40歳の弁護士、近藤法子は、この場所を知っていることに気づく。小学4年から6年まで、サマースクールのように毎年夏休みの1週間をそこで過ごしていたのだ。そんな法子の元に、白骨遺体は自分の孫ではないかと心配する老夫婦から相談が舞い込む。当時の記憶を掘り起こしつつ、拠点を移して活動を続けている〈ミライの学校〉との交渉が始まる。

ストーリーを紹介するために、分かりやすく時系列に沿って書いてみたが、こうした現状が分かるのは幕が開いてしばらくたってからだ。「プロローグ」に続き、親から離れて共同生活を送る小学校入学前の「ミカ」の章、〈ミライの学校〉が主催する夏の〈学び舎(や)〉に初めて来た小学4年の「ノリコ」の章と一気に展開していく。不穏なプロローグ、団体生活をしていても寂しいばかりのミカ、友人とうまくつき合えないノリコと、ここで何が起こっているのかとぐいぐい引き込まれていく。

子どもたちの心情、〈ミライの学校〉の理想と限界、理念に賛同する親を育んだ時代相の分析など、一つ一つの描写が心に刺さってくる。そして、法子はこの団体を断罪するスタンスを取らない。自身の経験を通して、「報道されているほど、極端におかしな団体ではなかった。危険な人たちではなかった」と感じているがゆえに、理想と限界の間で揺れ動く人々の置かれた状況の厳しさが、すんなりと伝わってくる。

団体のモデルがあるのではと考える向きもあろうが、本作では意味のない勘ぐりだと申し上げておこう。

忘れていた幼い日の思い出に潜んでいた真実の叫びや、白骨遺体は誰だったのかが分かったとき、やるせない悲しみが襲う。描かれたのは〈ミライの学校〉を舞台にした物語だが、読了後に親を恋(こ)う子ども心、子どもを操る大人の狡(ずる)さが普遍性をもってクローズアップしてくる。その大きさに、たじろぐばかりだった。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。