TKWO――音楽とともにある人生♪ クラリネット・亀居優斗さん Vol.2
音楽が好きな祖父や母の影響で楽器を奏で始めた亀居優斗さん。高校は音楽科のある学校に進学したものの、吹奏楽部ではなく、将来を見据えて地域の複数の楽団に入った。Vol.2では、部活では味わえない体験のほか、楽器に対するこだわりについて聞いた。
さまざまなことを見聞きしたことで得た経験値
――中学3年生から学校が主体ではない楽団に入りましたが、そこでの経験が今に生きていることはありますか?
中学3年生の時、所属した一つの楽団で、ベートーヴェンの「交響曲第9番」を演奏しました。部活では1曲の演奏は長くても10分ぐらいで、そうした経験しかない中で、60分もの間、絶え間なく続く演奏にヘトヘトになりました。佼成ウインドでは1回の公演の全体練習を3日間ぐらい行って本番に臨みますが、学生の時に在籍していた楽団では公演で演奏する曲を、半年間かけて全体で合わせていくこともありました。長時間の演奏に中学3年生という通常よりも若いうちから慣れることができたことは良かったですし、長い曲にゆっくりと時間をかけて向き合えたことも、今ではもうあまりできないので、振り返ると貴重な体験だったと思っています。
人との関わりの面でも勉強になりました。春日井市周辺には、全日本吹奏楽コンクール全国大会の常連校である中学校や高校があり、春日井市交響楽団、春日井ウィンドオーケストラには過去にそれらの学校に勤め吹奏楽部の顧問をしていた先生が指導をされていました。強豪校のOB・OGが多く在籍していて、レベルの高い人たちと共に演奏することができたんです。長年楽器と向き合ってきた人たちからさまざまなことを学べるのは、とても刺激的でした。部活では得られないものですよね。
それに、音大(音楽大学)に進んでプロを目指したいと伝えた上で楽団に入ったので、指揮者の先生は僕を厳しく指導してくださいました。他の人には怒らないようなことでも、僕には練習中に皆の前で怒鳴るように問題点を指摘する、といったことがよくありました。「おまえ、そんなんじゃプロでやっていけねぇよ!」という具合です。高校生で反抗期の頃でしたから、皆の前で怒られるのは、すごく恥ずかしかったですけど、その先生に悪いイメージを持つことはありませんでした。「自分のために言ってくれているんだ」と思えたので、鼓舞して頂いている感覚でした。
――三つの楽団に所属して、大変ではなかったですか?
それぞれの楽団の予定が重なって、練習に出られないこともあり、ご迷惑を掛けることもありましたが、僕自身が大変と感じたことはなく、ジュニア、オーケストラ、吹奏楽と畑の違う楽団に所属できたので、それぞれの体験がとてもプラスになりました。
楽団が増えれば、多種多様の曲を演奏し、より多くの人と触れ合いますから、さまざまな情報を得ることができました。その時に知ったのは、ある人やある楽団では「正しい」とされることが、他の人や、別の楽団では決して正しいわけではないということです。ですから、一人の意見を鵜呑(うの)みにせず、いろいろな意見を聞くことが大事だと今も思っています。当時は、そういう経験をして以来、自分が仕入れた情報を他の楽団の人にどう思うかを尋ね、情報を精査した上で、自分なりに「こういうことなのかな」と理解して、インプットしていました。一つの組織に所属するより、柔軟に考えることができるようになったのではないでしょうか。
また、その時につながった縁は今でも続いていて、僕が演奏するコンサート会場に足を運んでくださいます。所属団体が多いほど、つながった縁も多くなりますから、三つの楽団に所属してよかったなと思っています。