弱小チームから常勝軍団へ~佼成学園高校アメリカンフットボール部「ロータス」クリスマスボウル3連覇の軌跡~(6) 文・相沢光一(スポーツライター)
独自の練習法で徐々に力をつけ、強豪の一角に食い込んだ「ロータス」。しかし、クリスマスボウル(日本一決定戦)進出を賭けた試合では、いま一歩相手に及ばなかった。そんなロータスを覚醒させ、壁を突き破らせたキーワードは「連覇」だった。
整う環境、高まる機運
2004年の春、小林孝至監督は選手で8年間、コーチとして5年間在籍したアサヒビール・シルバースターを辞め、ロータスの指導に専従する生活が始まった。
機を同じくして、ロータスの成績は上昇の軌道に乗り始めた。現役選手と監督の二足のわらじで編み出した指導、そしてそれまで地道に取り組んできた「アメリカンフットボールを好きになってもらうことが部員の向上意欲を促す」という指導が実を結んできたと言っていいだろう。
また、強化につながる環境が整ってきたこともある。“ロータスに入れば、人間的にも成長できる”という評判が広がったことで、部員数が次第に増えていった。
1999年には、それまで一緒に練習を行っていた中学と高校の部を分けた。中学の部の監督には、小林監督の恩師にあたる東松宏昌先生が就任した。タックルの代わりに腰に着けた旗を取る「フラッグフットボール」で、より安全に配慮したアメリカンフットボールを経験し、プレーする楽しさを知った部員の多くが、小林監督のもとに進級してくる。トップレベルのスキルをもつ東松監督の指導下で基本を身に付けている生徒が入部することは、大きなアドバンテージになるわけだ。
2005年には学校から強化指定の部として認められた。
「強化指定になったといっても大幅に活動予算が増えたわけでもありませんし、これまで通り、勝利を義務づけられるようなこともありませんでした。ただ、“強化指定の部になった”ということで、部員たちの意識は高まったと思います」(小林監督)
事実、この年の春の関東大会では準優勝、2年後の2007年には春の関東大会で初優勝、各校が力を入れて臨む秋の関東大会でも準優勝の好成績を収めた。
また、2009年には練習場である総合グラウンド(学校から2キロほど離れた杉並区大宮にある)が全面人工芝にもなった。こうした環境が整うことにより、ロータスは都大会でも関東大会でも常に上位に進出し、強豪校のひとつとして数えられるようになった。
ところで、これまで紹介してきたような、アメリカンフットボールを楽しむことを優先する小林監督の指導や、体育会的な厳しさを排除した部活で、果たして本当に強くなれるのか、と疑問に思う方も多いのではないだろうか。
実は筆者もそのひとりで、小林監督に話を聞いている時も、練習を見学した時も、面食らうことばかりだった。都道府県大会や地方大会、その先にある全国大会で上位に勝ち進む強豪校の練習はほぼ例外なくハードだ。体育会的要素はないという触れ込みの部であっても指導者は絶対的な存在であり、練習の現場はピリピリとした緊張感に包まれている。少しでも緩んだ気配が漂えば怒鳴りつけたり、ミスをした部員には厳しい言葉を投げかけたりする指導者も少なくない。ところが、小林監督は練習中も言葉を発することはほとんどなく、冷静に部員たちの練習を見守っている、という感じなのだ。
そうは言っても、ある程度の厳しさがなければ、いくら部員に向上意欲があったとしても緩みは生まれるもの。体育会的部活を経験した人は、そう思うのではないだろうか。筆者もその疑問を感じながら取材を進めると、他の部活には見られない、ロータス独自の“厳しさ”の存在が見えてきた。