男たちの介護――(18) 仲田惠三さんの体験を読んで 津止正敏・立命館大学教授
一家の長男が跡を取り、大黒柱となって家業と親の老後、そして妻・子供の面倒を見ながら暮らすというモデルは、高度経済成長の過程で徹底して駆逐されていきました。成人すると、親と離れて暮らす新しい家族のカタチは、環境変化の当然の帰結として生まれたのです。
あれから50年。介護に専念し得る家族の存在を前提としたこの国の制度設計は、根底からきしんでいます。介護専念者は皆無に等しく、そのほとんどは兼業の介護家族。通いながら、仕事を持ちながらという、「ながら」介護の人ばかりになったのです。私は、こうした「ながら」の介護が一般化している実態を把握した当初には、すべて同時にこなさねばならぬ介護の困難さを強調する意味で、この言葉を使ってきました。しかし、そうした介護生活は困難さだけではないことを、今回の仲田さんの介護記録からも教えられました。端的に言えば、24時間365日介護漬けにならずに済む新しい介護生活の可能性があるのではないか、ということです。
仲田さんの介護で言えば、デイサービスや配食サービスを利用しながら、弟夫婦や親戚の援助も得ながらの、開かれた遠距離介護です。500キロをまたいで通いながらの介護を〈地元と生家の生活、二つの人生を歩めることが今何より有り難い〉という仲田さんは、畑に入れば「農業の“先生”」にもなる92歳の母と共に「ながら」介護を楽しんでいるようにも見えます。
介護は、身を粉にして、介護者としての役割を背負うのではないことを「二つの人生」という言葉で教えているようです。
男たちの介護