TKWO――音楽とともにある人生♪ トランペット・奥山泰三さん Vol.1

プロの音楽家を目指すために……

――それが、プロを目指すようになったのはいつ頃ですか

高校3年の時です。進学は、どの大学のどの学部にするかの選択の時期を迎えて、同級生たちは、研究者になりたいから理学部に進むとか、経済学部に進んだ後は商社マンとして世界中を飛び回りたいとか、将来の目標に向けて進路が明確でした。彼らと比べると、自分の進路は何だか中途半端な気がして、大好きなトランペットを続けようと思っていたものの、これで本当にいいのかと真剣に悩みました。そんな時、〈プロのトランペット奏者になれたらどんなに幸せだろう〉という気持ちがムクムクと湧き上がってきたのです。

悩んだ末に、進学予定の大学を音楽大学に変更しました。変更を受け入れ、黙って学費を捻出してくれた親には本当に感謝しています。

音大を志しましたが、この時点で、受験に必要な勉強をしていなかったので、1年浪人することにしました。運がいいことに、高校の吹奏楽部の後輩の叔父にあたる人が大阪フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者である加藤隆功さんでした。加藤さんの指導を受けることができ、1年間、しっかり勉強して、無事に武蔵野音楽大学に入ることができました。

――TKWOとの出合いについて教えてください

大学3年の頃に一度、佼成ウインドにエキストラとして呼んで頂いたことがありました。聴衆として演奏会に行くこともあったので、佼成ウインドは身近な存在でした。在学中にいろいろな楽団のオーディションを受ける中で、佼成ウインドは2回受けました。

これには理由があって、1回目は大学4年の時でしたが、最終選考で該当者なしという結果になりました。1人枠に対して私を含む4人の演奏技術がどれも高く、1人に絞り切れないとの理由からでした。

力及ばずに不合格ということではなかったので、複雑な心境になりました。しかし、気持ちを切り替え、まだ望みはあると思って、翌年の1985年、大学を卒業してもう一度チャレンジし、入団が決まりました。卒業後3年以内にプロの楽団に入れなかったら見切りをつけ、他の仕事に就くと自分で決めて臨んだので、受かった時は、本当にうれしかったですね。

実際に佼成ウインドと契約したのは卒業から1年後です。その間はフリーの奏者として他の楽団のエキストラや金管アンサンブル、個人レッスンなどを掛け持ちして生活していましたから、「これで安心してトランペットを吹ける」という実感が湧いたのを、今でも覚えています。

入団後はがむしゃらに吹いていました。若かったし、勢いもあったのだと思います。さまざまな演奏会でソロを吹かせて頂きました。入団直後のツアーから、ニューサウンズのアドリブソロを任せてもらえました。このほか、いろいろと貴重な経験をたくさん積むチャンスを与えてもらい、先輩方に育てて頂いたことに、心から感謝しています。

プロフィル

おくやま・たいぞう 兵庫・神戸市に生まれる。武蔵野音楽大学卒業。1984年、第1回日本管打楽器コンクールに入選し、86年に東京佼成ウインドオーケストラに入団後は、同ソリストとしてマルチェロの「協奏曲ニ短調」はじめ多数の楽曲を全国各地で演奏してきた。2008年にDVD「Winds 楽器別上達クリニック『トランペット・マスター』」をリリース。現在、昭和音楽大学講師、日本トランペット協会常任理事などを務める。