TKWO――音楽とともにある人生♪ トランペット・奥山泰三さん Vol.2

トランペットの華々しい音色にすっかり魅了された奥山泰三さん。当時の人気お笑いTV番組のコント映像よりも、その奥に並ぶビッグバンドのトランペッターの演奏が気になるほど、“トランペット少年”でした。東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)入団後から大切にしてきたプロ奏者としての自負や、技術のさらなる向上を目指した努力の数々とは?

「一人のプロ奏者」として認められるまで

――TKWOに入団してからこれまで大切にしてきたことは?

佼成ウインドに30年以上在籍する中で、変わらずに大切にしてきた信念があります。それは、東京佼成ウインドオーケストラの団員としてではなく、「トランペット奏者としての奥山」を常にキープするというものです。こう言うと、「佼成ウインドに愛着はないのか」と周囲からお叱りを受けそうですが、そういうことではなく、佼成ウインドに所属した後も向上心を忘れず、どんな演奏もできるトランペット奏者として技術と志を高く保てるよう努力を続けることを心がけてきたということなのです。

実は学生時代に、この信念を持つに至る体験がありました。大学2年の時、ある楽団のトランペットのオーディションがあって、その楽団員から受けに来ないかと誘われていることを当時の師匠に相談しました。すると師匠から、「今、行ったらね、まだトランペット奏者として売れてないから、『楽団の奥山君』になっちまうよ。もっと勉強しろ!」と言われました。目が覚める思いでした。いちトランペット奏者として技能を磨き、何よりもまず自らを確立させる大切さを学んだ出来事でした。

――プロとしての実力を保つために、どんなことに気を配ってきましたか

20代、30代といった年代ごとに自分の10年間の目標を打ち立てて、その達成に向けてチャレンジすることを意識してきました。とはいえ、プロ奏者としての奥山を実際にキープし続けることは、簡単ではありませんでした。若い頃とは違って、体力も年々衰えますし、歳(とし)を重ねるにつれて新たな課題にも直面しましたから。

新潟県長岡市で、佼成ウインドの常任指揮者に就いていたフレデリック・フェネルさんと夕食を囲んだことがありました。その日が自分の30歳の誕生日だと伝えると、フェネルさんは、「そうやって30、40、50の時というように、節目に到達した時の自分をその都度、しっかりと見つめ、考えていくと、いい音楽家になれますよ」と優しく語り掛けてくださいました。この言葉に感動した私は、30代の10年間でどのようにトランペットに向き合い、どんな音楽家に成長したいのかをよく考えてみようと思いました。

その会食の少し前にリサイタル(独奏会)を自分で開いて、吹き方に課題が見えていたので、フェネルさんの言葉を受けて、ちょうどその頃にドイツのブレーメンで開催されていた音楽祭「ブレーメン国際トランペット週間」に参加しました。スウェーデンの著名なトランペット奏者で、指導者としても素晴らしい生徒をたくさん育てたボー・ニールソンさんに、課題の改善点などについて学びました。その翌年と翌々年には、ニールソンさんが来日される機会に合わせて時間をつくって頂いて、さらにそこで教わることができ、吹き方を完全にリニューアルできました。もう一度、基礎からやり直して自己点検できたことは、その後のトランペット人生において、とても貴重な財産になったと思っています。

40代になり、自分の演奏や体調などのコンディションが悪い状況が長期間あったことから、その立て直し方が次の課題になりました。当初は課題の克服に苦労しましたが、若いトランペット奏者が入団したことで、無理にコンディションの調整をして演奏しなくてもよくなったのです。これを機に考えを改め、少し肩の力を抜いて、コンディションの調整に時間をかけたことで状況は改善できました。

50代の今は、「自分らしく吹こう」をモットーにしています。どういうことかと言うと、歌を歌うように吹くことが自分の理想だと感じているので、先日のレストランでのディナーコンサートでも、オペラのアリアを演奏して、本当にオペラ歌手の歌声のようにトランペットを吹きました。楽器も、50歳になった時には今の自分の吹き方に合ったものに買い替えました。

このように、その時、その場に応じた演奏スタイルに自らを合わせていく――これによって、より多くの学びが得られると思っています。

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