男たちの介護――(8) 妻と娘のダブル介護 家族との時間を大切に過ごす日々
ずっと3人で暮らしたかった
居間で、小谷正臣さん(77)がハーモニカを吹く。「茶摘」。すると、車椅子に座っている妻・晴枝さん(75)も長女・晶子さん(平成30年3月に他界。享年46)も音色に合わせ歌い出す。家族3人、介護生活の中にもだんらんがあった。こんな、穏やかなひとときがあれば十分だ。そう正臣さんは思っていた。
「今の状態では、1年持ちません」。医師から晶子さんの余命宣告を受けた。平成29年9月。CT検査の結果、晶子さんの子宮体部にがんが認められた。1年前、医師からは子宮体がんの心配はないと説明を受けていた。1年で、がんができ、一気に進行したとでもいうのだろうか。
晶子さんは知的障害があるため、通院には付き添いが必要だ。一度に晴枝さんと晶子さんの面倒を見ることはできない。「私が晶ちゃんの病院、付き添おうか?」。正臣さんに助け舟を出してくれたのが、立正佼成会の教会で組長を務める上野亜由美さん(66)だった。上野さんとは、長年、家族ぐるみで付き合ってきた。晶子さんのことも昔から知っている。病院への付き添いを頼むことにした。
ホスピスへの入所も勧められたが、正臣さんは断った。親子3人で過ごしたかったからだ。余命宣告から3カ月、この頃から晶子さんは「おなかが痛い」とたびたび訴えるようになった。突如襲ってくる激しい痛みに耐えきれず、カーテンを引きちぎり、テレビのリモコンを床にたたきつけることもあった。「晶ちゃん、いけん!」。正臣さんは晶子さんの体を抱え、痛み止めの薬を服用させる。20分もすると落ち着くのだが、それまでの時間が正臣さんには、とても長く感じられた。
年が明け、いつもにこやかな晶子さんの顔から笑顔が消えた。病状は駆け足で進行し、歩けなくなり、車椅子の生活になった。食事の量も激減した。夜、布団に横になった途端、嘔吐(おうと)することもあった。寝かせたままで着替えさせ、汚れた寝具を取り換えていると、夜が明けてくることもしばしばだった。