立正佼成会 庭野日鑛会長 6月の法話から
習学
『法華経』の「方便品」の中に、こういうことが述べられております。
「其(そ)の習学せざる者は此(こ)れを暁了(ぎょうりょう)すること能(あた)わじ」
「習学」――繰り返して学び、修行するということです。法華経の教えを、繰り返し、繰り返し学ぶ。その意味するところは、一つ目は、仏の教えを正しく会得するということです。二番目には、それを自分の日常生活の出来事に照らし合わせて考える、ということ。そして、三番目には、このことを絶えず繰り返すことである――そういう意味が、この「習学」という言葉に込められております。私たちは修行中であり、常にこの法華経の教えを繰り返し、繰り返し学んでいるわけです。この方便品の一節は、とても大切な言葉であると思っております。
(6月15日)
宿世の因縁
結婚ということについて、このように言われている方がおられます。
<生まれも育ちもすべて違うものが、夫婦として結ばれ、家庭をもち、日々の生活を共にするわけですから、思えば宿世(しゅくせ)の因縁というより他ないでしょう>
「宿世」とは、過去世、前世ということでありますけれども、そうした因縁のもとにあるという捉え方です。そして、夫婦とは「生まれも育ちもすべて違うもの」ということですから、「夫婦和合」の心構えとしては、いたわり合い、忍耐し合い、そして助け合う――こうした努力が必要ではないかということも、私が書き留めて、大事にしている言葉であります。私たちは在家仏教徒であります。先ほどの「釈迦も達磨も修行中」という言葉、それを日常の生活の中で受け取らせて頂くと、今申し上げたようなことが大事になってくるのではないかと受けとめておるところであります。
(6月15日)
日本人とお米
富山和子さん(環境問題評論家、立正大学名誉教授)という方は、とてもお米に詳しい方で、お米のことをいろいろと書かれております(著書『お米は生きている』)。
その人のおっしゃるところでは、お米を作る日本の水田、田んぼは小さなダムであり、とても大事だということです。地下水を養い、川の水をつくります。農業や林業で暮らす山村の人を支える森林の守り手でもあります。日本では3千年ぐらい前からお米を取り入れており、お米を蒔(ま)いて、田植えをして、稲刈りをして、食糧にしており、この本に、日本の歴史の中で稲作農業がいかに大事であったかが述べられています。
お米は、私たち日本人の主食ですから、これからも大事にお米を作って、あまり外国からお米を輸入することがないようにしたい。最近ではアメリカのお米が相当入ってきているようですけれども、日本の国でちゃんとお米を収穫して、食べていくような方向が大事だと、富山さんは言われます。戦争とかいろいろなことで、外国からものが輸入できなくなってしまうこともある。その時に、ちゃんと自国でお米を作っていないと、どうなってしまうか分からない――そのような心配もされています。私は、このご本を読ませて頂いて、私たち日本人がお米を食べるということ、主食であること、それがいかに大切であるかを、今しみじみと感じているところであります。
(6月15日)





