ミンダナオに吹く風(5) 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)

ムスリムの自治をめぐって

ミンダナオにおける近年の紛争の歴史を簡単に振り返ってみたい。

イスラームの分離独立運動(闘争)は1960年から始まったとされる。その後、1970年にヌル・ミスアリを中心にモロ民族解放戦線(MNLF)が結成された。1977年にはMNLFに不満を持つグループが分派してモロ・イスラム解放戦線(MILF)を形成した。

1987年にMNLFは、ミンダナオにイスラーム自治区を設けるというフィリピン政府の提案に同意し、政府との和平合意により1990年にムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)が4州で成立。1996年にはラモス政権とMNLFの間で和平協定が締結された。

けれどもMILFは、政府との和平協定を不合理な妥協とみなし、南部14州が将来的に自治区となることを前提に独立闘争を継続した。その結果、1997年に政府との間で和平合意が調印されたものの、翌年からエストラーダ政権によるムスリム反政府組織への弾圧が始まり、2000年に和平協定が破棄された。MILFはジハードを宣言し、戦争は拡大した。

ミンダナオ子ども図書館のムスリムの奨学生たちの話によると、エストラーダ前政権時の和平合意破棄後に起きた戦争によって強いられた避難生活は、政府や国際的な団体による避難民の救済活動の支援も無く、困窮を極めたという。

その後、戦闘が収まり、避難生活から戻って半年も経たないうちに、フィリピン政府軍とアメリカ軍の合同演習が始まった。「バリカタン」と名付けられるこの合同演習は、1995年で一度中断されていたものの、2000年に再開され、以降毎年行われている。しかも、今年は、日本の自衛隊も人道支援・災害救助という名目で参加している。現地では、憲法の解釈を変更してまで日本の自衛隊の海外派兵を可能にする最大の目的は、ミンダナオを含む南シナ海に大きな戦争が起きた場合(起こした場合)、日本も参戦できる用意をするためだとささやかれている。

ぼくが、カトリック・キダパワン司教区のバリエス司教に声を掛けられて、イスラームの戦闘地域「ピキット」に行ったのが2001年なので、ぼくが目の当たりにした避難民は第1回バリカタンから避難し続けていた人々だったのだ。しかも、後になってこれが「演習」であることを聞いて驚いたのだが、この時目にしたのは「演習」という名の「実戦」以外の何ものでもなかった。居住地の近隣で爆弾が炸裂(さくれつ)し、機銃掃射でコンクリートのモスクも破壊され、2000年から2003年にかけて10万人以上の犠牲者と120万を超える避難民が出たのだった。戦争避難民の子供たちの救済支援に駆け回りつつ、「日本人は『演習』の実態がどういうものなのか、知っているのだろうか?」と思ったのを記憶している。

プロフィル

まつい・とも 1953年、東京都生まれ。児童文学者。2003年、フィリピン・ミンダナオ島で、NGO「ミンダナオ子ども図書館」(MCL)を設立。読み語りの活動を中心に、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与などを行っている。第3回自由都市・堺 平和貢献賞「奨励賞」を受賞。ミンダナオに関する著書に『手をつなごうよ』(彩流社)、『サンパギータのくびかざり』(今人舎)などがある。