DJボウズの音楽語り(3) 文・戸松義晴(浄土宗心光院住職)
画・花本彰
THE MOTOWN STORY
ザ・テンプテーションズ、フォー・トップス、ザ・シュープリームス、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5……と、数多くの売れっ子を育て、数々のヒット作を生み出した「モータウン」。そのモータウン・サウンドがぎっしり詰まったレコード「THE MOTOWN STORY」(1970年発売)を紹介します。
モータウンを創設したのは黒人のベリー・ゴーディ・ジュニア。第二次世界大戦後、世界の車の50%が製造されていたアメリカ・デトロイト(通称モータータウン)を拠点に、1959年に活動をスタート。“サウンド・オブ・ヤング・アメリカ”をモットーに、新しいことに挑戦していき、「モータウン・サウンド」という独自の音楽を確立していきます。音楽業界の中で黒人として最も成功した人といえるでしょう。金儲(もう)けが大好きで、このアルバムの1曲目が「MONEY」なのも、それが理由でしょうね。
この時代は、アメリカの高校生の青春を描いた映画『アメリカン・グラフィティ』で出てくるような、好景気の真っただ中、自動車産業の絶頂期。5000㏄のエンジンが搭載され、多くの排ガスを出し、ガソリンを捨てて走るような車が街を行き来していました。この映画でも、高校生が車を乗り回し、夜中に公道でレースをする様子が映し出されています。
紹介するレコードは、60年代のヒット曲が収録されている、今でいうCDアルバムですね。このレコードは特殊で、各曲が始まる前に、それぞれの歌手が自分のことや曲の話をしてから、歌い始めるのです。収録されている「MY GUY」や「MY GIRL」は日本人にも馴(なじ)染みがある曲ではないでしょうか。
収録されている曲で紹介したいのは、「PLEASE MR. POSTMAN」。ガールズグループ、ザ・マーヴェレッツの曲です。シングルで発売された時のジャケットは、彼女たちの写真ではなく、ポストのイラストでした。購買層の狙いは白人だったため、黒人が表立って歌っていると分かると売れないからです。
良い曲に肌の色が関係ないことは、結果で表れました。この曲はビルボード・ホット100で1位になり、白人の歌手がいる中でも選ばれたのです。のちに、ビートルズ、カーペンターズもカバーします。モータウンは、多くのスターを輩出し、アメリカでは一時期、ホット100のトップをモータウンの歌手かビートルズが占めていたぐらい、有名になりました。
モータウンは歌手たちを白人に溶け込ませようと、服装はドレスかスーツ、チリチリの頭にはストレートパーマやかつらをかぶって、白人のスタイルに合わせました。白人の前に出て恥をかかないように、黒人として自信を持てるようにマナーも身につけさせました。そして、歌詞は商業路線を大切にして政治に関わることは書かず、ラブソングといった甘いストーリー、信頼、希望を歌いました。
しかしどんなに売れても、歌手たちは黒人のため、ツアー中は人種差別を受けて、ホテルに泊まれずに車中泊をしたり、レストランに入れなかったりと苦しい思いもしてきています。
72年になると、モータウンは、映画業界への進出など新たな事業や音楽を開拓するため、ロサンゼルスに拠点を移します。この頃になると、流行を取り入れすぎて、独自性が失われてしまって、私はこの後の曲はあまり記憶に残っていません。
もう一人、モータウンの象徴的な人物と言ったらダイアナ・ロスです。このレコードにも、所属していたグループ「ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス」の曲やソロ曲がいくつも入っています。シュープリームスは1964年、当時のアメリカの国民的番組だった「エド・サリヴァン・ショー」に黒人女性グループとして初めて出演。アメリカの黒人の立場を変えた出来事の一つでもありました。そのシュープリームスを題材としている映画『ドリームガールズ』も出ました。
ダイアナ・ロスは当初、グループ活動をしていましたが、のちにソロシンガーとして売り出し、大成していきました。ダイアナ・ロスは、マイケル・ジャクソンの兄弟で構成されたグループ「ジャクソン5」を発掘し、後見人となった人物でもあります。その後もマイケル・ジャクソンの精神的支柱となり、スーパースターを見守ってきました。次回は、そのマイケル・ジャクソンのレコードを紹介します。
プロフィル
とまつ・よしはる 1953年、東京都生まれ。慶應義塾大学、大正大学大学院を経て、ハーバード大学神学校で神学修士号取得。現在、浄土宗心光院住職、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会理事長、浄土宗総合研究所副所長、国際医療福祉大学特任教授を担っている。全日本仏教会理事長、日本宗教連盟理事長などを歴任。趣味は音楽鑑賞(ソウルミュージック)。