ミンダナオに吹く風(19) ミンダナオ子ども図書館を支えるスタッフの若者たち 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)
弟のララン君と妹のラブラブは、施設で高校を卒業した後、ミンダナオ子ども図書館に引き取って奨学生となり大学に通った。ある日、ラブラブが、泣き出しそうな顔をして駆け寄ってくると僕に言った。
「ジェニーボーイ兄ちゃん、お酒を飲んで大ゲンカして殴られて、顎(あご)を骨折して緊急入院したの! だれも手術のお金を出せない。助けてあげて!」
悪ガキではあったものの、ジェニーボーイは我が子のようなものだったし、早速病院を訪ねて緊急手術をして、さらに回復した後に引き取った。小学校も卒業していなかったので奨学生としての採用は無理だけれども、自動車学校に通わせて運転免許を取らせ、スタッフに採用した。現在は結婚して良き夫、良き父親となり、立正佼成会のゆめポッケを配るために山岳地帯をトラックで駆ける運転手として活躍している。
さらに、お姉ちゃんのエレンジョイも、高校を卒業して仕事を見つけにマニラに行った後、妊娠。帰ってきて出産したものの、結婚できずに極貧の生活を送っていた。見かねてミンダナオ子ども図書館に引き取り、スタッフとしてハウスペアレント(奨学生のお母さん役)の仕事を与えた。今はイスラムの男性と結婚して、二人目の子も生まれ、図書館の敷地内で家を建てて生活している。
なぜ、そんな常軌を逸した悪ガキや未婚の母を、スタッフとして採用してミンダナオ子ども図書館の子どもたちの面倒を見させるのか――。そんな疑問の声も聞こえてきそうだが、僕の目から見ると、優等生や模範生よりも、悪ガキ体験や不良体験など軌道を外れた経験をした若者たちこそ、彼ら同様に親が殺されたり家庭が崩壊して奨学生となった子どもたちの気持ちを理解して、救ってくれている気がしてならない。ミンダナオ子ども図書館の卒業生たちは、皆なんらかの不幸を背負って、ここにやってきて、幸運にも奨学生となって努力して大学を卒業できた子たちだ。だからこそ、スタッフとなってからも、その体験が仕事に生きているのがよく分かる。
なお、当時の孤児たちとの出会いは、拙著『サンパギータの白い花』(女子パウロ会)に書いたので読んでみてください。
プロフィル
まつい・とも 1953年、東京都生まれ。児童文学者。2003年、フィリピン・ミンダナオ島で、NGO「ミンダナオ子ども図書館」(MCL)を設立。読み語りの活動を中心に、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与などを行っている。第3回自由都市・堺 平和貢献賞「奨励賞」を受賞。ミンダナオに関する著書に『手をつなごうよ』(彩流社)、『サンパギータのくびかざり』(今人舎)などがある。近著は『サダムとせかいいち大きなワニ』(今人舎)。