ミンダナオに吹く風(14) グラウンド・ゼロの少女 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)

グラウンド・ゼロの少女

フィリピン・マラウィ市にほど近い、ドームの下につくられた避難民キャンプ。屋根はあるものの、コンクリートの床の上にシートで区切られた家族の居場所は、イリガン市のキャンプに比べると格段に小さい。3畳ぐらいのスペースに親子が6人で寝ていたりする。しかし、それでも子どもたちは中から飛び出してきて、みんなで一緒に遊んだり、掃除や料理を手伝ったりしている。そんな子どもたちの様子を見ながら、案内してくださっている福祉局の職員の方がこう言った。

マラウィ市の中心部に暮らしていた「グラウンド・ゼロ」の人々が収容されている避難民キャンプ

「このキャンプに避難している人々は、イリガン市に避難した人々より長く紛争のあった市中にとどまり、空爆や市街戦がひどくなって近隣の家々や自分の家が破壊され始めてからようやく逃げ出してきた人が多いのです」

すなわち、マラウィ市に近いところに収容されている人々は、現地では「グラウンド・ゼロ」と呼ばれている、空爆と砲撃で建物が徹底的に破壊されたマラウィ市の中心部に暮らしていた人々が大半なのだそうだ。それゆえに、戦争で親が殺された子どもたちも多くいる。また、被害の少なかった周辺部の人々が帰り始めても、「グラウンド・ゼロ」の人々は、地中にいまだに地雷が埋まっている可能性があるということで、現在でも市中に立ち入ることが許されていない。帰宅の目途(めど)は全く立っていないどころか、たとえ帰れたとしても家は完全に破壊されていて、財産も失っているので、再建は困難というのが現状だ。

今回、福祉局の職員が、マラウィ市に近い避難民キャンプに私たちを促したのも理由がある。4回目になる今回の避難民救済支援が、食料や物資の支援だけではなく、戦争で親を亡くしたり、困難な状況の中に置かれたりした子どもたちの中から、支援を必要とする子たちを奨学生として採用し、ミンダナオ子ども図書館に住まわせ、大学まで通えるようにすることが目的だったからだ。

福祉局の方が、ベールをまとった母親と娘を連れてきてこう話した。「まずはこの子を、スカラシップ候補として紹介したいのです」。スタッフが背景を尋ねると、母親はこう語り始めた。「この子の実の父親は、娘が小さい頃に亡くなっているんです。その後、私は再婚したものの、継父は今回の戦争で、どこに行ったか分からずにいます。全てを捨てて逃げ出してきたので、経済的にも困窮していて食べていく目途も立ちません」。それを聞くと、少女は言葉を次いだ。「街中にあった家も、ぜんぶ破壊されてしまったの。私、Facebookで見たわ!」。

母親の話によると、たとえ帰れたとしても住む家もないし、養ってくれる人もいないので、子どもをおいてサウジアラビアに出稼ぎに行くしかないのだという。

少女は、突然泣き出して言った。「学校なんて、行きたくても行けないわ。このままでは私、マニラに出稼ぎに行くしかない……」。

プロフィル

まつい・とも 1953年、東京都生まれ。児童文学者。2003年、フィリピン・ミンダナオ島で、NGO「ミンダナオ子ども図書館」(MCL)を設立。読み語りの活動を中心に、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与などを行っている。第3回自由都市・堺 平和貢献賞「奨励賞」を受賞。ミンダナオに関する著書に『手をつなごうよ』(彩流社)、『サンパギータのくびかざり』(今人舎)などがある。近著は『サダムとせかいいち大きなワニ』(今人舎)。