栄福の時代を目指して(21) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

今、進行中の正義を考えよう――先制攻撃の不正義という一致した判断
国際法だけではなく政治哲学からも、――マイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)にならって言えば――「いま進行中の」正義を考えてみよう。大学の講義では学生にさまざまな問いを出して考えてもらっており、それをもとに説明していく。まずは、「アメリカ・イスラエルのイラン攻撃は、イラン国民を弾圧から解放して民主化を実現し、イスラエルやアメリカの国民を含めて人々の幸福に寄与するから正義である」という問いはどうだろうか。福利(幸福・利益)を計算する立場(功利主義)による考え方だが、今ではこれが間違っていたことは明らかだ。
トランプ大統領が当初公言したようなイランの体制変革は実現しなかった。作戦は短期間では終了せず、アメリカの地域覇権や権益の後退をもたらしている。アメリカは敗北しつつあり、イランの人々の犠牲、つまり不幸をもたらしたとともに、アメリカの人々の不幸も増大させつつある。だから、結果から見て、この戦争開始は不正義だったことになる。実際にはアメリカの情報機関も一致して失敗の危険が高いことを警告していたのだから、もともとこの開戦は、この立場から見ても不正義だったのだ。
まして、先制攻撃は国際法違反なのだから、法の遵守を求める正義論(リベラリズム)からしても不正だ。トランプ政権の傍若無人な国際的行動は、戦後のリベラルな世界秩序を破壊している。また、イラン南部(ミナブ)の小学校爆撃(報道によると、女子175人前後が死亡)に典型的に現れたように、戦争犠牲者の生命や人権を無視しているのだから、普遍的人権尊重という正義にも反している。
さらに、倫理的な徳義共生主義(コミュニタリアニズム)においても、この攻撃は不正だ。私たちの声明においては、ローマ教皇レオ14世の言葉に言及している。この戦争は、法的問題であるだけではなく、道徳的問題であるが故に、アメリカ人や全世界の人々に、戦争を止めるように政治家に働きかけるべきだ、というメッセージだ(第19回参照)。
上述の声明では、政治経済の側面とともに、この宗教的・倫理的側面に触れている。つまり、先制攻撃は倫理的にも悪であり、この点も考慮すると、徳義共生主義においても不正だ。
よって今では、学問的な代表的政治哲学の観点から見れば、アメリカの先制攻撃は不正義であるという一致した判断が導かれるのである。
地球的な徳義共生主義的正戦論
さらに、コミュニタリアニズム(徳義共生主義)の論者マイケル・ウォルツァーは、正戦論の代表的論者であり、開戦の不正義という先述の議論は、それに基づいている。その上、彼は、「究極の緊急事態」という概念で、文明崩壊や国家滅亡の危機のような、比類のない巨悪においては、平時のルールへの違反が認められると主張している。最高指導者殺害や、トランプ政権による体制転換の呼びかけ、さらに「今夜、一つの文明が丸ごと滅び、二度と元に戻ることはないだろう」という文明抹殺の脅し(4月7日)は、明らかにこの危機に相当するだろう。
この議論は、「政治的コミュニティー」の存亡の危機に際しては、その生存のための抵抗を認めるものだから、コミュニタリアニズム(徳義共生主義)的な正戦論だ。通常の場合は、戦中法規の正義を守ることを求めるのだが、「究極の緊急事態」においては、例外を許容するのである。
もっとも、この論理を悪用すると、コミュニティー存亡のためという名目で、その国家のための戦争を過度に容認しかねない。実際ウォルツァーはこのような論理をイスラエルやアメリカの行動を擁護するために用いたことがある。そこで私はこれに反対して、生成中の地球的コミュニティーという観点から、「政治的コミュニティー」存続のための例外という論理の妥当性を判断すべきだと主張している*。人類的な観点から見て倫理的な悪であれば、特定コミュニティーの生存のための違法行為は許されないが、人類的な観点から善なら、当該コミュニティーの生存のための行為は許容されるということになる。地球的な公共善(や公共悪)という観点も、ここには加わってくる。
地球的な政治体が存在すれば、超大国の侵略に対しては、地球的な警察によって、国際法違反に対する制裁を科すべきだ。しかし、現状ではそれはできないから、被害国が自己救済のために、コミュニティー(国民)を守るためにやむなく、通常のルールを超えても自衛を行うのは、道徳的に不正とは言えない。
これは、全人類的なコミュニティーの観点からの正戦論である。さきほど論じたイランの米軍基地への反撃やホルムズ湾の限定封鎖は、この観点からみれば、正当とされる可能性が大きくなるわけだ。
*出典:小林正弥「地球的コミュニタリアニズムに向けてーーウォルツァー正戦論を超えて」広井良典・小林正弥編『コミュニティ』(勁草書房、2010年、第2章)





