現代を見つめて(12) 幽霊でも会いたい 日本人旅行者の祈り 写真・文 石井光太(作家)

幽霊でも会いたい 日本人旅行者の祈り

毎年夏になると、テレビでは怪談や戦争のことが多く取り上げられるようになる。

二十年ほど前の夏、私はミャンマーを旅していた。当時、ミャンマーは軍事政権の色が強く、半ば「鎖国」しているような状態で、国内を旅するには様々な規制があった。あらゆることに外国人料金が適用され、交通の便が非常に悪かったので、旅人から敬遠されることも少なくなかった。

ところが、ミャンマーに行ってみると、なぜだか高齢の日本人旅行者が数多くいた。定年過ぎの日本人ばかりをあちらこちらで見かけるのだ。しかも、みんな礼儀正しくきちんとした服装をしている。タイやフィリピンの歓楽街にいる日本人とはまるで違った。

商業都市マンダレーの、戦前から残る古い建物の前を通りかかった時、日本人の一行が道の掃除をしているのを見かけた。私は立ち止まり、ここで何をしているのですか、と尋ねた。一人が答えた。

「この建物には、日本兵の幽霊が出るって言われているんですよ。三十人ぐらいの軍服を着た幽霊が出るんだって」

地元のガイドから聞いたのだという。彼は続けた。

「でも、僕たちは怖くないんです。むしろ、会ってみたい。僕たちはこの国で命を落とした軍人の家族や親族で、供養に来たんです。だから、もし日本兵のお化けがいるのなら会ってみたい」

太平洋戦争中、この町には日本軍が駐屯していたが、インパール作戦での敗北以後は大勢が命を落とした。彼らは亡き父や兄の霊を供養するため、毎年のようにミャンマーを訪れ、日本兵の幽霊が出るという土地の清掃をしていたのだ。

あれから二十年。現在のミャンマーは民主化され、多くの若い日本人がビジネスや観光目的で滞在している。時の移り変わりとともに、日本兵の怪談はあまり語られなくなったが、ミャンマー人の多くは日本人に好意的だ。それは、かつて慰霊に来ていた日本人たちの真摯(しんし)な行動と無縁ではないように思う。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)、『砂漠の影絵』(光文社)がある。

【あわせて読みたい――関連記事】
◇現代を見つめて
◇食から見た現代