忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(10) 写真・文 猪俣典弘

残留二世の命の灯火が消える前に

国会で答弁する岸田首相

その後、フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)は外務省と情報交換を重ね、残留二世の国籍取得を加速させる検討を続けました。結果、茂木外相や岸田首相の言葉通り、在フィリピン日本大使館は、フィリピン政府の関連省庁との交渉、総領事による残留二世の面接などを次々と実現。また、厚生労働省と法務省も問題に関心を寄せ、解決に向けた協力の道を探り始めています。

同時に、国会でも動きがありました。昨年12月20日、衆議院第一議員会館で、無国籍の残留二世問題をテーマにした勉強会がUNHCR駐日事務所とUNHCR国会議員連盟によって開かれたのです。この中で、フィリピン日系人会連合会のイネス・マリャリ会長がオンラインで発言。PNLSCからは青木秀茂弁護士が参加し、残留二世が無国籍状態で高齢化している現状を述べ、「政治決断により早期の解決を」と訴えました。

出席した国会議員からは、残留二世の切実な声を受け、「希望に応える政治的使命がある」「一人ひとりの安全保障、人権に関わることで、人道大国日本として取るべき選択は明らかだ。(略)この『日本人の忘れもの』をぜひ解決に導いていきたい」といった力強い発言が相次ぎました。

一つの報告書がきっかけとなり、国会議員、政府、各省庁が動き、「残り時間の少ない残留二世」の救済に取り組み始めています。今年3月末、PNLSCが外務省からの委託でまとめた調査によると、残留二世の総数は3821人、そのうち生存を確認できたのは151人でした。細くなった残留二世たちの命の灯火(ともしび)が完全に消えてしまう前に、「誰一人取り残さない」という決意のもと、国連、日本とフィリピン両政府、NPOが連携して根本的な救済の実現に動き始めています。

プロフィル

いのまた・のりひろ 1969年、神奈川県横浜市生まれ。マニラのアジア社会研究所で社会学を学ぶ。現地NGOとともに農村・漁村で、上総堀りという日本の工法を用いた井戸掘りを行う。卒業後、NGOに勤務。旧ユーゴスラビア、フィリピン、ミャンマーに派遣される。認定NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)代表理事。

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