『現代を見つめて』(8) 文・石井光太(作家)

生徒にとって図書室は大切な居場所 

私の通っていた中学校の図書室は、いつも窓から陽が射して暖かかった。本棚にはきれいな色の背表紙が並んでいて、印刷のにおいがうっすらと漂う中で、生徒たちのひそひそ声や小さな笑い声がする。

生徒たちは図書室にいるA先生が好きで、休み時間になれば自然に集まってカウンターの前で輪をつくっていた。その雰囲気が心地よく、私は二年生と三年生の時に半年ずつ、図書委員を務めた。

A先生は「ちょっと待って!」が口癖の魔法使いのような人だった。生徒が自主研究のテーマを話すと、「ちょっと待って!」と本棚へ走っていって参考資料となる本を持ってくる。教員が授業で読書会をしたいと言うと、「ちょっと待って!」と生徒が喜びそうな本を見つけてくる。

また、A先生は一人ぼっちの生徒が図書室の隅でぽつんといると、すぐに歩み寄っていって輪の中に入れてくれた。私も一度そういう経験があった。友だち関係がうまくいかずに、休み時間に一人で図書室に来たら、A先生が手を引いて奥の部屋へつれていってくれた。そこには同じように教室に居づらくなった生徒たちが数人いて、A先生は内緒でお菓子をくれて昼休みが終わるまで楽しい話をした。帰り際にわたされた一冊の本を家で読み、いろんな思いがあふれてきて涙を流した。

学校の図書室は、私にとってそんな思い出に包まれている。

昨年、学校図書室の司書の学習会に呼ばれて、話をさせてもらう機会があった。その時、こう言われた。

「図書室は真っ先にコストカットされるんです。東京でも十年以上前から新規の司書を雇っていないんですよ」

学校司書を全校配置しているのは、現在、岡山県と鳥取県だけだという。

ふと思った。もし中学校にA先生がいなかったら、あの図書室はどうなっていたのか。別の司書の方が言った。

「図書室に司書がいなければ物置になってしまう。でも、いれば町や公園と同じになるんです」

物置に行きたいと思う生徒はいないが、町や公園なら行きたいと思う生徒はいる。図書室は情報を得るためだけにあるのではない。こんな時代だからこそ、「温かな場所」としての図書室を必要とする人は多いのではないだろうか。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)など著書多数。近著に『砂漠の影絵』(光文社)、『「鬼畜」の家』(新潮社)がある。