共生へ――現代に伝える神道のこころ(23) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)

雨にけむる大山阿夫利神社(神奈川・伊勢原市)。別名「あめふり山」とも呼ばれ、2200年以上前から雨乞いや五穀豊穣を祈る人々の篤(あつ)い信仰を集めてきた

天候の黒子として雨や熱を運ぶ「風」に感謝し 農耕の無事を神々に祈る

あくまでも個人の主観だが、伊勢地方は他の地域に比べて風がよく吹く印象がある。初めて伊勢を訪れたのが、寒風すさぶ一月末のことで、冬の季節風が吹く時期であったためかもしれない。「神風の」は伊勢を示す枕詞。伊勢は海に面しており、現在では津市の山間部に日本最大級の出力を誇る風力発電所があるほど、地理的にも風が吹き抜けやすい地形にある。とはいえ、「神風の伊勢」とは言い得て妙だと思ったのもその時であった。

「神風の伊勢」といえば、まず思い出すのが『日本書紀』垂仁天皇二十六年三月の条の、「是(こ)の神風(かむかぜ)の伊勢国(いせのくに)は、常世(とこよ)の浪(なみ)の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。是の国に居(お)らんと欲(おも)ふ」という御託宣にて、天照大神(あまてらすおおかみ)が伊勢の地に鎮まったという記述だ。神道では「風」を司る神は級長津彦命(しなつひこのみこと)。『古事記』では志那都比古命と表記され、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の神生みの際に生まれた神とされている。

かたや『日本書紀』では、神代上四神出生章第六の一書にて、「乃(すなわ)ち吹き撥(はら)ふ気(いき)、神と化為(な)る。号(みな)を級長戸辺命(しなとべのみこと)と曰(もう)す。亦(また)は級長津彦命と曰す。是(これ)、風神(かぜのかみ)なり」と誕生の次第が記されており、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の吹く息にて化成した神であると記されている。級長津彦命の「し」は風や息の意、「な」は長で、風や息吹を神格化したものと考えられている。一般的には「比古/彦」が男神を表すとされていることから、伊勢神宮では級長津彦命と級長戸辺命の両神で男女一対の神とも考えられているが(阪本廣太郎『神宮祭祀概説』)、書紀文中の表示法から異名の同一神という見方もある。

また、能の演目の一つである「龍田(たつた)」でも知られる龍田大社(奈良県生駒郡三郷町)では、風の神として天御柱命(あめのみはしらのみこと)と国御柱命(くにのみはしらのみこと)を祀(まつ)る。同社は『延喜式』神名上の大和国平群郡に、「龍田坐天御柱国御柱神社二座(並名神大、月次、新嘗)」とあり、天御柱命と国御柱命の名は、天と地を貫くように吹く竜巻を柱に見立てた神名と考えられている。

同社では、奈良時代に律令制のもとで規定された「神祇令(じんぎりょう)」に、四月と七月に農作物が悪風や洪水に遭わないように祈願する五穀豊穣(ほうじょう)の祭祀(さいし)である「風神祭(かぜのかみのまつり)」が斎行され、平安時代になると『延喜式』四時祭上に「大忌(おおいみ)・風神祭、並四月・七月四日」とある。奈良県の廣瀬大社にて同様の趣旨で斎行される「大忌祭(おおいみのまつり)」とともに、神祇令の時代からある天候に関わる重要な祭祀だ。天御柱命は、この風神祭での祝詞の中で比古神(ひこがみ)という記載が別にあるため男神で、国御柱命は同じく比売神(ひめがみ)とあるためで女神とする見方がある(粕谷興紀著『延喜式祝詞』、和泉書院)。また、國學院大學教授であった御巫清勇氏(故人)は、天御柱命と国御柱命を、「とりわけ荒天の神、暴風神的な神性があり、志那都比古神(しなつひこのかみ)・志那都比売神(しなつひめのかみ)とは別の神であろう」と指摘しており、級長津彦命、級長戸辺命とは別神とする説を提唱している(『延喜式祝詞教本』、神社新報社)。

『延喜式祝詞』には、罪穢(つみけが)れを祓(はら)うために奏上する「六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらえ)」の祝詞もあるが、ここに「科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝(あした)の御霧(みぎり)・夕べの御霧を朝風・夕風の吹き掃(はら)ふ事の如く……」という一文が登場する。この文言は、風の吹き起こる所から吹く風が、天の幾重にも重なっている雲を吹き飛ばすように、また朝の霧や夕方の霧を朝風や夕風が吹き飛ばしてしまうが如く、全ての罪や穢れはないだろうというくらいに風が吹き飛ばして払ってしまうという意である。

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