忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(5) 写真・文 猪俣典弘

フィリピンでは、クリスマスにイエス・キリストの生誕を皆で祝い、喜びを分かち合う。色鮮やかな星飾り「パロル」が街を彩る

「助けて」と言える社会は、「つながる力」のある社会

国民の約90%がキリスト教徒であるフィリピン

フィリピンでは国民の約9割がキリスト教徒のため、クリスマスを喜びに満ちた特別な日と受けとめます。イエス・キリストという大いなるプレゼントが世界にもたらされたことをみんなで祝い、喜びを分かち合う――この「分かち合い」の精神こそが、フィリピン社会の底力となっているのです。

クリスマスシーズンの今、私はマニラでクリスマスイルミネーションの輝く街並みを眺めて日々を過ごしています。この季節に、キリスト教の信仰がフィリピン社会にもたらしたものについて思いを巡らせてみたいと思います。

イエスの誕生を告げ知らせた「星」がクリスマスを彩る

フィリピンのクリスマスは9月から始まります。9月以降の月を英語で読むと、語尾に「ber(バー)」が付くことから「バー・シーズン」と呼ばれ、期間に入るとフィリピンの人たちはソワソワし始めるのです。

クリスマスを彩るものの中で特徴的なのが、色や大きさがさまざまな星飾り「パロル」です。スペイン語の“Farol(ファロル)”が名前の由来といわれ、イエスが馬小屋で生まれた夜、その誕生を告げ生誕の地ベツレヘムへと導いた「ベツレヘムの星」をイメージしています。一年で最も大切な季節の到来を告げる鮮やかな色のパロルが家に飾られ、そのもとに、フィリピン人が何よりも大切にしている家族が集うのです。

信仰の根幹にあるのは「小さな者」へのまなざし

フィリピンには、クリスマスの風物詩がもう一つあります。地域の人々がキリスト生誕の喜びを伝える讃美歌を歌い、近所の家を訪ねる「キャロリング」です。教会の青年や近所の子供たちなどが聖歌隊(4、5人から20人ほど)を編成して家々を回ります。そして、困難な状況にある人たちを支えるための寄付を募るのです。夜空に響く讃美の声から、フィリピンの人々がクリスマスを心から喜び楽しんでいることが伝わってきて、少しでも寄付をさせてもらいたいという気持ちが湧いてきます。

「キャロリング」の聖歌隊

みんなでイエスの誕生を喜び、感謝しながら、今この時にも貧困や紛争、病などで苦しんでいる人たちに思いを馳(は)せ、祈り、共に支える。キャロリングは、コミュニティーが一体になるための大切な伝統行事です。この取り組みから、私はフィリピン社会の「つながる力」を改めて実感します。

イエスは、人々の罪を贖(あがな)うためにこの世へと遣わされ、人々によって十字架の刑に処されて命を落としました。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」とイエスは言ったそうです。小さい者(弱者)のために何をなすべきかがキリスト教の信仰の根幹にあり、それがフィリピン社会の「つながる力」の一つになっているのだと、クリスマスが来るたびに気づかされます。

コロナ禍で発揮された「つながる力」

長引くコロナ禍の中でも、この「つながる力」が発揮されました。厳格な感染症対策のための規制や行動制限で、フィリピン全世帯の約70%が失業や収入減を余儀なくされたと言われています。行政の支援が届かず、最も貧しい人たちの命と暮らしが危機に瀕する中、日本と同じくフィリピンでも、民間が素早く立ち上がりました。特に、フィリピンでは草の根のように広がったコミュニティーの「つながる力」が大いに発揮されたのです。

フィリピン各地では、互いを助けるための「コミュニティパントリー」(地域食品庫)が広がっていきました。人々は、道端に設置されたテーブルに、野菜や缶詰などの食料、薬や衛生用品など自分にできる寄付の品を置きます。自分で買うことのできない人たちは、そこから必要なものを無料で入手できるのです。自然発生的に展開されたこの取り組みは、寄付をすることも、それを受け取ることも極めて自然であり、「もちつもたれつ」の文化が社会に根付いている証しだと思います。

ミンダナオ国際大学のフードパントリー

フィリピン残留日本人二世とその家族たちの多くも職を失い困窮しましたが、こうした地域の助け合いによってたくましく生活しています。ミンダナオ島で7000人の会員を擁するフィリピン最大の日系人会では、この2年間、事務所の前にフードパントリーを設置しました。そこに、同会が運営するミンダナオ国際大学を通じて集めた米や缶詰などの食料を置き、毎日の食事に困る地域の人々を支援しました。自分たちの生活も苦しい中で、さらに困っている人々に手を差し伸べる行為は、地域住民からの感謝と信頼、尊敬につながりました。

「助けて」と言える社会

「助けて」と声を上げられる人は、他の誰かが助けを求めてきたら手を差し出せる人です。「助けて」と言いやすい社会は、人と人が「つながる力」を持ち、セーフティーネットが機能した社会です。自分も他人も同じように大切にしようというキリスト教の精神が、フィリピン社会に根付いているのです。

一方、日本では「助けて」と声を上げることが「恥」であるかのような雰囲気がいまだ根強く残っているように感じます。何かと「自己責任」という冷たい言葉がささやかれ、「近所の目があるので支援を受けたくない」といった声さえ耳にします。「助けて」という声を出せない社会は、「つながる力」の弱い社会です。

自分の弱さを知る人は、他人の弱さもわかってあげられます。人間は、お互いに支え合って生きています。フィリピンから今、私たちが学ぶことは少なくないと、クリスマスの喜びに沸き立つマニラの片隅で、改めてかみしめています。

プロフィル

いのまた・のりひろ 1969年、神奈川県横浜市生まれ。マニラのアジア社会研究所で社会学を学ぶ。現地NGOとともに農村・漁村で、上総堀りという日本の工法を用いた井戸掘りを行う。卒業後、NGOに勤務。旧ユーゴスラビア、フィリピン、ミャンマーに派遣される。認定NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)代表理事。

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