現代を見つめて(75) 情報へのアプローチ 文・石井光太(作家)
情報へのアプローチ
いつの頃からか、メディアがウクライナ難民を報じる機会が大幅に減った。半年前には連日にわたってその姿が映し出されてきたのに、最近はウクライナのニュースすら流れない日もある。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の発表では、世界の難民の数は一億人を突破している。
このうちウクライナ難民の数は、一割ほど(国内外合わせて千四百万人)。残り九割の難民は、別の国の出身者。近年多いのは、エチオピア、ウガンダ、チャド、スーダン、ミャンマーといった国々だ。
さて、みなさんは、これらの国がどこに位置して、どういうことが起きて、難民がいかなる状態に置かれているかご存じだろうか。
おそらくほとんどの人が答えられないと思う。
メディアにしてみれば、今はウクライナ問題さえ利益の出ないコンテンツになってしまっている。一般の人々が、ウクライナ以外の難民のことを知る機会がないのは当然だ。そしてこうした情報の空白地帯で、大勢の人が苦しみ、命を落としている。
三、四十年前まで、一般の人が事実を知ったところで世界を変えるきっかけには、なかなかなり得なかった。だが、SNSが広まった現代では、一人ひとりの関心と発信が世界中に飛び火し、事態の悪化を食い止める大きな抑止力となり得る。
たとえば二〇一五年、シリア難民が乗ったギリシャ行きのボートが転覆し、浜辺に三歳の男児の遺体が打ち上げられた。その写真が拡散したことで、シリア難民の救済が一層叫ばれるようになったことは記憶に新しい。個々の関心が世界の大きな動きを呼び起こすのが現代の特徴なのだ。
逆に言えば、人々の無関心は暴力にもなる。人々が目をそらすことで、権力者の暴走はエスカレートし、何十万、何百万といった人々を苦境に陥れる。規模は違うが、いじめ、ハラスメント、差別といった問題でも同じことが言えるだろう。
現代は、個々の関心が大きな力を持つ時代だ。昔ながらの価値観から脱却し、そのことをきちんと学べば、メディアの情報の伝え方、人々の情報の受け取り方、そして情報へのアプローチの仕方は違ってくるはずだし、それこそが新しい時代をつくり上げる力となるのではないだろうか。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。